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神谷美恵子さんのエピソード

岡山県の離島にある「長島愛生園」にて、ハンセン病患者の治療に携わった精神科医の神谷美恵子氏は、青年期に結核にかかった。当時の医師から通常の病院に入院するか、自然環境のもとで療養生活を送るかの二者択一の選択を迫られたのだが、神谷氏は後者を選び、軽井沢で療養生活を送ることになった。その時の医師からの指示は、「熱が下がったらカラマツ林などを散策し、熱のある時には安静を保つこと」という極めてシンプルな処方だったようである。神谷氏は結局、当時不治の病と言われていた結核を、軽井沢の高原での療養で治癒させた。

同時に彼女はキリスト者なので次のような体験もされている。
深いうつ状態になり、追い詰められた極限状況の中で、突然神々しい光を全身に浴び、大きな力に生かされているような喜悦の体験をし、うつ状態も結核も完治するという奇跡的な神秘体験をした。
自らを、神に作られた「うつわ」とし、その「うつわ」にもられた神の愛を人々に渡してゆこう。それがいかなる方法で行うかは分からないが、誠実に、自らの神より与えられた役割を果たしてゆこう、そう思われた。
神谷氏は医療の道を志し、長島愛生園へと向かった。

後年、神谷氏は「生きがいについて」という著書でこのように書いている。

「自然こそ人を生み出した母胎であり、いついかなる時でも傷ついている人を迎え、慰め、癒すものであった。それをいわば本能的に知っているからこそ、昔から悩む人、孤独な人、はじき出された人はみな自然の懐に帰っていった。聖賢たちも人生に悩んだとき、みんな自然の中にひとり退いたのであった。自然には内も外も無く、出すも出されるもないからである。(中略)少なくとも、深い悩みの中にある人は、どんな書物によるよりも、どんな人の言葉によるよりも、自然の中に素直に身を投げ出すことによって、自然の持つ癒しの力−それは彼の内にも外にもはたらいている−によって癒され、新しい力を恢復するのである。」

俊邦の療育が行き詰った時(5歳の頃)
私たちは、この本の示す通り、自然の中に出かけていった。毎週、週末にはハイキングに行き、自然の山々(森の中)を歩いた。土を踏みしめ、山の空気を吸い、木々や草花に触れた。自然は何一つ拒むことなく、全てを受け入れ、私たちは自然の中に溶け込んでいった。どのような療育的効果があるのかはわからないが、確かに自然は私たちを癒し、元気にしてくれた。
俊邦は、無事入学し、休むことなく学校に通うようになった。

私たちにとって「生きがい」とは何か?
どこに向かって進もうとしているのか、何になろうとしているのか。
山を歩き、海に行き、畑で土にまみれた。
自然と一つになる。鳥や草花や木々、動物たち、虫や微生物も、人であることも、障害があること、病があること、生も死もひっくるめて、生態系の中でつながり循環する。とどまることはない。
私たちは、一つであり、同じ命の中を生きている。一人一人においても、貴賤の差はなく、同じく自然の一部であり、一体なのだ。(私たちの個性は一つの自然の表現体)だから、自然を守ろう、土と共に生きよう。みんな同じなのだ。同じところへ帰ってゆく。自然の中に、神の愛の懐の中に・・・

悲しみが深ければ深いほど、より深い愛を感じることができる。癒しの力は働いている。自然によって包み込み、人を使わして出会いをもたらす。愛はいろんな形をもってあなたのもとに届けられる。それに気づくだろうか。あなたの中にもそれ(愛)はあるのだ。神谷美恵子は自身のことを「うつわ」だと言った。
私は、私であって私でないのかもしれません。私はみんなであり、私は私に宿る愛(神)なのかもしれません。

私たちは生命の核心にある愛に向かおうとしている。全てのものがそこに憩う。
これが私の「生きがい」、向かうべきところだと思っている。

2022.9.25 俊邦父


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