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THE CHILD WHO NEVER GREW
by Pearl. S. Buck

パール・バック著 「母よ嘆くなかれ」松岡久子訳 法政大学出版局 発行

パール・バック「母よ嘆くなかれ」を読んで・・・

 パール・バック(1892〜1973)は1938年にノーベル文学賞を受賞されているアメリカの女流作家です。代表作としては「大地」という激動の中国を舞台とした、王龍という一人の人物とその一族の歴史を描いた小説が有名です。御両親が熱心なクリスチャンで宣教師として中国に赴かれたのがきっかけで、パール・バックさんも長い期間を中国で過ごされました。大陸の雄大な土壌の上で育ち、なおかつ東洋の深奥で繊細な精神を受け継いでいるということが作風の背景にあります。

 The Child Who Never Grew 「母よ嘆くなかれ」と題されたこの本は、 パール・バックさんにとって特別なもので、1921年に中国で生まれたご自身の娘、深刻な知的障害をもつ一人の娘とともに歩んだパール・バックさんの母親としての心の記録がしるされているからです。
娘の名前はカロル(Carol--喜びの歌、賛美歌の意味)、病名は正式にはフェニルケトン尿症(PKU)と呼ばれるもので知能の発達に深刻な影響を与えるものらしい(現在は早期の食事療法で治療可能)。さらにパール・バックさんは出産の際に子宮に腫瘍があるのが発見され、それを摘出しています。カロルは彼女の一人娘となりました。

 私は初めてこの本を読んだ時、カロルは自閉症なのかなと思ったりしましたが、レオ・カナーが「早期小児自閉症」という言葉をつかって初めて論文を書いたのが1943年、カロルが生まれたのが1921年ですから、その当時はまだ「自閉症」という名前すらありませんでした。みな一様に発達の止まった子供たち(精神遅滞)として扱われていたのでしょう。
時代は、ちょうど中国において革命が起こる激動の時期と重なっており、アメリカにおいても医療や教育、福祉施設の状態は現在とかなり異なっていただろうし、世間一般の障害者を見る目もおそらく今以上に厳しかったに違いありません。時は50年以上前のことなのです。
しかし、この本は読者である私どもの心をとらえ、言いようのない慰めと共感を与えてくれます。それは、障害児をもつ母親の心というものが今も昔も変わらず、パール・バックさんが辿った歩みは本質において今と同じだからであります。

 私はこの本をある人の薦めで読むことになりました。その方のお母さんは30年間この本を心の支えとし、誰にも言う事のできない心の痛みを癒してこられたのです。息子さんは自閉症です。30年たってその本の事をもう一人の子供である娘に話したのです。(私はその娘さんからのメールで知りました。)
私はそのお母さんがこの本を読みながら過ごしたであろう日々のことを想うと、それだけで胸がいっぱいになりました。

 この本の内容については私は多くを語るつもりはありません。読めばわかる内容ですし、悲しみの中にある母親の心から絞り出した一つ一つの言葉に対し、いかなる解説もつけようがないからです。
その心がわかる人は涙を流すであろうし、わからない人にはどのような説明をしてもやはりわからないでしょう。
ただ、時代は少しづつ明るい方向に進んでいっており、障害児をとりまく環境も少しづつ変わってきているのも事実です。昔にくらべれば教育やトレーニングの方法も少しは進み、根本的には治らない障害であってもより生活しやすくなるようなスキルを身につけたりすることはできます。家庭に責任を押し付けて両親を追い込むことも少しは減ってきているでしょう、そのような希望的(?)観測をもっています。
一番大きな違いは、障害児と家族を分離し、大型の施設に入れて社会からも切り離すといった処置から。今ではできるだけ、家族と共に社会の中で同じような生活ができるように、たとえ施設に入ったとしてもできる限り家庭や一般の社会に近い雰囲気を保つように配慮していっているということです。時代は「分離」から「共存」へと、その方向が変わりつつあるのです。

 私は松岡久子さんの訳による「母よ嘆くなかれ」(発行所は法政大学出版局)を図書館で見つけました。1967年の発行で当時の価格で280円、この本が普通の本屋さんでみつかるはずがありません。もう絶版になったのかと思っていましたが、同出版局から新訳版が1993年に発行されており、こちらの方なら本屋さんでも取り寄せられるのではないかと思います。
この本が絶版になるなどということはあってはならないことです。永遠に残すべき本であり、子育てに携わる全ての人が読んでおくべき必読書だと思います。

 最後にわずかですが、パール・バックさんの言葉を書き添えておきます。

「人間とは常に単なる動物ではありません。精神を失い、言葉を忘れ、そして人との意志の疎通に欠くことがあるにしても、人には人としての何ものかがあるのです。そしてその人もまた、人類家族の一員であるということには何ら変わりがないのです。」

「彼女もまた人間であります。幸福への権利はもっているはずです。・・・そして彼女にとっての幸福とは、彼女の才能そのままで生活できるということであったのです。」

「わたしは幸福こそが彼女の世界であると独り心で固くきめました。」

2001/1/28 俊邦父

パール・バックの生涯

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