「一つである」ということ

Oneness that all I mean.

生命は、流れゆく「動的平衡」の中にある。
福岡ハカセの視点は本当に面白く、興味深い。だが、そこに「私」は見つかるだろうか?
流れゆくはかないものの中に、私とゆう命、存在、個性は保ちえるのだろうか・・・

「動的平衡」とは面白い。
物質的に見たなら、去年のあなたは一かけらも今ここにはない。(去年一年間で食べた物の一部とすべて入れ替わっている)分解と合成を繰り返し、常に流動しながらバランスを保っている。
なぜ、バランスが保てるのだろうか?「私」というものを維持できるのか・・・
私とは何なのか?(私を私たらしめているものは何か)

生命はとどまることなく、すべては流れ去ってゆくものなのに、私が私であるということは本当に不思議なことである。パズルのピースだけでは理解できない。エントロピー増大の法則に逆らいながら、自己のアイデンティを保ち続けている。
私が私であるために、私を見つけるために、余計なものはすべてそぎ落として、本質を見つめ、生命を見つめ、共に生きるということ、一つであるということを追求してゆこう。

 障害の受容?

話が少し進みすぎたので、「障害の受容」と言うところから仕切りなおそう。
実は、私は障害の受容ということが嫌いである。
障害にもいろいろあるが、受容していいものと、受容すべきではないものとがあるようだ。
一様に「障害」だからしかたない、とは考えるべきではない。

あなたは、もし自分の子供が自閉症の子として生まれてきたならどう考えるか?
障害を個性や文化として受け入れ、本人を主体とし、心理に重きを置き、関係性や接し方、気持ちに配慮する。あるいは障害特性を理解し、視覚支援や物理的構造化を行い、生活環境を整える。または、人権を尊重し、人々から受け入れられるよう社会に働きかける。これらのことは、当然必要になってくると思われるが、二次的・三次的なことであるともいえる。

本当に障害に直面した時に、最初に思うことは、「なぜ?」「どうして自閉症になったのだろう?」という原因についてであり、そして、どうすれば治るのだろうという治療法についてではないだろうか。
私は、20年たった今でも「なぜ?」と思います。原因について目を伏せることはできません。
「障害を受容していない」と責める人もいるかもしれませんが、本音を言えばそんなもの(受容など)したいとも思いません。どこかで現状を正当化し自分をごまかして、障害に向き合うことをあきらめているのです。だから医療は進まず、治療を放棄して、的外れな支援をしていることも少なくありません。「なぜ?」と思うのは素朴な疑問なのです。それを問い続けることは自分に課せられた人生の宿題のようなものです。

なぜ原因を考えないんですか?
障害を受容したというと聞こえがいいけれど、障害(病気かもしれない)を治そうとする意欲や意志を失わせているのではないですか。全ての手を尽くし納得した上でそう言っているのでしょうか?
本当に障害に向き合うことなく、あきらめて、その後の生活でうまくやっていくことのみを優先しているような気がします。人々は自分にとって都合の悪い事実については見ようとせず、聞こえず、伝えようともしません。(私たちは、いいようにされているのです)

自閉症が器質的な障害ならば、まずもって生体や脳について考え、それがなぜそうなったのかを追求するべきです。栄養療法やバイオメディカル、背景となっている環境問題にも取り組むべきです。療育は必要ですが、心理や生活環境を整え、社会運動をしているだけでは不十分です。現に、発達障害者は年々増えていっているじゃないですか。運の良し悪しや、気持ちだけでは片づけられないことです。一番大事な根本的な問題から目を背けているように見えます。

若い時は目の前のことで必死でした。一日一日が精一杯の闘いでした。歳を取るにしたがっていろんなことを見聞きし、人や自然のことについて考えるようになりました。物事にはいろんな背景や本質的な事柄が潜んでいます。
私は医者や科学者ではありませんから、実際の治療に携わったり、理論整然と科学的根拠を上げることはできません。ただ、私なりに出した答えから推察しているだけです。それでも皆様に対してなんらかのヒントや方向性を提示すことはできるのではないかと思うのです。

障害の受容とは、地球の異変や人間生活のゆがみ(歪み)、大量の生命(微生物を含む生き物たち)の殺戮までも肯定するということにつながる場合もある。障害は「警告」であり、彼らは犠牲者なのかもしれません。
私たちは変わらなくてはならないし、変えねばならない。

 生命の集合体

障害について知るためには、まず人間とはどういうものなのかという、「人間に対する理解」が根底になくてはならないと思います。
結論から端的に言えば、人間は自然の一部であり、「生命の集合体」であるということです。
生命の多様性とバランス、つながりと循環、そういった自然の法則の中で生かされているのです。
分解と合成を繰り返しながらバランスを保ち、多様な生命は繋がり循環する。そして、それらは本質的には一つである。

根本における考え方や方向性が正しければ、大きな間違いは犯さないだろう。試行錯誤しながら少しずつ前に進み、積み重ねてゆけばいい。(小さな積み重ねが、大きな変化へとつながることもある)

スタインベックは『怒りの葡萄』という本の中で、次のように語った。

主人公トム・ジョードのお婆ちゃんが死の間際にある時、母ちゃんが身重の娘に言った言葉。
「若いころはね、ローザ・シャーン、起きることはひとつひとつ別のことだと思うんだよ・・・
でも、変わる時が来るんだよ。そのときが来たら、死ぬってことは、みんなが死んでいくことの一つだってわかるんだ。赤ちゃんを産むことはみんなが産むことの一つで、産むのと死ぬのは結局同じだってことがね」
ローズ・オブ・シャロンの目に涙があふれて、前がよく見えなくなった。

一つであることの中に、涙と愛を見る。神がそこにおられる。

私たちは一つであるのかもしれません。
本来、自然と一つのものなのに、自然から分離しようとするからダメなのです。
人と自然は一つです。人と人もその魂は繋がっています。

生命の集合体である人間の、「健康」とは、多様性とそのバランスと循環の上に成り立っているものであり、そして最終的には「一つである」ことが答えなのです。
一つにする力、それは「愛」と呼ばれているものであり、「神」と言う人もいます。
一つにしているものが愛であり、神なのです。

 多様性の喪失(ディスバイオシス)

自閉症の原因は、ディスバイオシスにあると言われています。体内の生態系が崩れ、生物の多様性が減少しているのです。だから脳の発達に影響し、偏りができるのです。

「多様性」がない為に、柔軟性を失い、適応力や社会性がなくなる(こだわりが強くなり、寛容でなくなり、自己中心になりがち)。バランスをとるべき相手がいないために、小さな(つまらないこと)にまで過敏になり、自分自身まで攻撃してしまう。それが、免疫疾患(アトピー)や自閉症の特性の本質であるように思います。
自然界で起きていること(生態系の乱れや多様性の喪失)は、体の中でも起きていて、それが障害として表れているのではないかと推察します。

微生物(腸内細菌)がいなければ、十分な酵素が得られないため、食物を分解し、必要な栄養素を得ることがでません。腸粘膜が脆弱となり有害物質や未消化のたんぱく質が体内に入ったりします。
腸内細菌の中には、情緒やコミュニケーション能力にまで影響を与えるものもいます。

生命は切磋琢磨する交わりの中で進化してゆく(共進化)。止まることはない。

結論から言うと、自閉症は、自然から離れ、多様性を失い、体内の生態系が崩壊したがゆえに生じた病気であると思われる。多様性の喪失は生命に影響を与える。
自然環境の破壊は、人体に大きな影響を与えている。(間違いかもしれません。私なりの解釈ですが)
それは、出産における帝王切開や抗生物質の投与、行き過ぎた殺菌・消毒、農薬と化学物質、森林破壊や土壌汚染など、多くの事柄が関係している。

これを克服するためには、自然に回帰し、多様性を取り戻し、生態系をつなぎ合わせるしかない。豊かな生態系が生命を育む。

環境問題は、人間の内にある環境の方がもっと深刻である。なぜなら農薬や化学物質による汚染、多様性の危機に直面している度合いは人間の方が大きいからです。

 多様性は力なり

当人たちはまだ気づいていないかもしれませんが、巨視的に見たなら、私たちは今、「大絶滅期」の真っただ中にあるとも言われている。
201957日、世界132カ国の政府が参加する「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」IPBESは約100万種の動植物が数十年のうちに絶滅すると警告。この絶滅のペースは過去1000万年の平均より10倍から100倍速いという。

温室効果ガスの排出量は1980年から倍増し、それに伴い地球の気温は0.7度上昇した。この変化は一部の動植物に多大な影響を与え、行動を制限し、絶滅の危険を悪化させている。もし地球の気温上昇が2度に達すれば、生物の種の5%が気候変動を理由に絶滅する危険があるとされている。同様に、もし地球の気温が4.3度上がれば、生物種の16%が絶滅する危険があるという。

多様性を失うと、人間は自分自身を損なうことになる。
多様性が失われてゆくということは、自分自身の生命が削られてゆくのと同じだ。
忘れてはいけないのは、私たちは「生命の集合体」であり、運命の共同体なのである。
生きる目的を果たすためにも、みんな(多様な生物)が要る。
生命の多様性は人間にとって必須の、生きる為の要件なのです。

生命を脅かす要因は私たちのまわりにたくさんある。化学物質や農薬、土壌汚染、森林破壊、山火事、気候変動、種の絶滅のスピードは恐ろしく速い。生態系は危機にさらされている。生物の多様性は失われてゆくばかりだ。これらのことは、人の体の中でも同じように起きている。

私は、環境問題は人ごとや自然界だけのことではなく、自分自身のこと、自分の子供の障害のこととして受け止めている。私たちは究極的には一つなので、すべてのことにはつながりがある。

カリフォルニアの山火事をみて、地球が丸裸になってゆくことは、自分自身の命がそぎ落とされて行っているように感じる。

2015COP21が、2020年以降の温暖化対策の国際枠組み『パリ協定』を正式に採択した。
合意されたパリ協定の内容は、「世界の平均気温上昇を2度未満に抑える」(1.5度に抑えることが、リスク削減に大きく貢献する)ことを全体目標とし、そのための方策として、今世紀後半に、世界全体の温室効果ガス排出量を、生態系が吸収できる範囲内に収めるという目標が掲げられた。これは、人間活動による温室効果ガスの排出量を実質的にはゼロにしていくという目標である。(CO2を吸収しているのは、人ではなく生態系である。)

これらのことは是が非でも進めていってほしい、喫緊の課題だ。
私たち、人(人類)を救いえるのは、生き物たちのダイバシティ(多様性)と繋がりにかかっているのかもしれない。ダイバーシティ(多様性、diversity)とエコシステム(生態系、eco-system)が病んだ地球と人類を癒す。

 夢に向かって進んでゆく

人は夢に向かって進んでいる。
現実の中で生きていることは確かだが、どこかで、夢につながってゆかなくてはいけない。
道を選択するときは常にそのことを考える。
人生は一度しかない。だから、自分の思った方向に進み、トライすることが大切である。
夢に生きている人は幸せだ。本当に生きている。(生きている意味が生じる)

自分は何を求め、何をなすために闘ってきたのか? 何に生きるのか・・・
自分が、何を大切に思い、何に生きようとしているのかを考えなさい。それが貫かれていてこそ「信念」である。
「答えを生きる」と言って、自然農に取り組んでおられる川口由一さんは立派だと思う。人に押し付けることはなく、自分自身が出した「答え」に生きてゆく。生きることが証明なのだ。

夢を語り、夢を追いかける。
目をキラキラさせながら、夢中で夢に向かって進んでゆく。夢を語らなくなったなら私らしくない。
私を見失ってはいけない。
大切なものを見つけ、夢を描き、夢に向かって進んでゆく。
あなたにとっては、なにが大切ですか?

 一つであるということ

今ここにある手、足、体は、来年の今頃には一かけらも残っていない。
物質的に見たなら全ては入れ替わり別人になっている。全ては過ぎ去り、流れてゆく。
ルドルフ・シェーンハイマーの言うとおりである。
あなたがあなたであるのは、自身のDNAと意志(信念)、生命の集合体であること、一つとなった自分であるということ。

一つであるということが、多様性の中で、私を「私」たらしめているような気がする。
私の居場所があり、私という個(形)が必要とされるのである。
多様性と生態系、人間らしさや地球の未来。
ともに楽しく、共に幸せに生きる「共生世界」=理想世界。
福祉の目的、幸せな世界、愛によって一つになること。

「一つである」ということを知り、感じながら、人を見、自然を見たなら、感じることが違うかもしれない。(違った風景が見えてくる)一つになることによって「私」が形づくられてゆく。いろんなものの中で(関係性の中で)私は私なのである。

一つであるということは、神秘の中に帰ってゆくということ。

本質的に一つであるがゆえに調和する。調和できる。
花を見てきれいだと思える。それは、同じだからである。一つであるものを破壊してはいけない。

人々はつながり合い社会を築こうとする。(一つになろうとしている)
森羅万象も同じ、森も木々も土も水も川も海も空も・・・みんな一つであるということ。
「愛」によって一つであるということ。その中に私がいる。
それは愛を形にするためである。それが人生の目的であると言ってもいい。
愛に形を与える為、でなければすべてはむなしく、目に見えない空気みたいな、混沌とした思いだけの世界として消え去ってしまう。流れの中で漂うだけ・・・
言葉をかえると、神を証しするということ。私たちは愛に生きるものたちなのである。

私たちが一つであり続けられる理由は、「愛」があるからであり、もともとは一つであったからである。
愛=一つにする力。愛によって一つになっている。だから神は愛なのである。
一つであるということは、神様と同じ(いっしょ)ということ。

「神は愛なり」と教えたのはキリストだから、私はキリスト教に近いのかもしれない。

私たちは多様でありながら一つであるということ。
それは愛があるからであり、それ(愛)が神であり、私なのです。

一つにすることができなかった者が、自分を失い、崩壊(自殺)に至る。

愛があるから生命が生じる。エントロピー増大の法則を凌駕できるのは愛があるからである。
私が私であることを大切にしよう。
人も自然もみんな一つである。愛を感じ、一つとなり、感謝しよう。

「一つになる」ということは、喜びであり、また、新しい生命の始まりでもある。

2020.10.10 俊邦父


 以下、参考・引用させていただいた書籍です。

「生物と無生物のあいだ」  福岡伸一

「怒りの葡萄」  ジョン・スタインベック