「森林と畑の生態系」
〜生態系と福祉のシステム〜
一昨年より、福祉の仕事で、障害者の就労支援の一環として、農園での活動を始めました。
はじめは見よう見まねで、家庭菜園に毛が生えた程度の畑仕事で、NHKの趣味の園芸「やさいの時間」や本屋さんで野菜作りの本を手当たり次第読んでみて、手探りで野菜作りを始めました。
もともとその場所は水田で、休耕地だったところをお借りして、畑にすることになりました。
水田ということは、土壌は粘土質で水はけが悪く、雨が降ると沼のようになります。初めに取り組んだのは「土壌改良」で、市内の大型公園から腐葉土を分けてもらい、土嚢袋に何百袋もつめては畑に撒いて、水はけと通気性を良くして、ふかふかの土を作るために頑張りました。
そのかいもあってか、一年目は、初心者であるにもかかわらず、ジャガイモ、キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、トウモロコシ、カボチャ、エダマメ、オクラ、サトイモ、サツマイモ、などなど・・・30種類ほどの野菜が収穫でき、一同大喜びしたものです。
野菜というのは偉い物で、こんな素人でもなんとか食べれるものができるんだなあと、感心したり不思議に思ったりしました。(品種改良の成果かもしれません?)
そんな中で、いろんな課題や問題点を発見し、学んだこともありました。
一つには、野菜作りというのは案外お金がかかるということです。
作った野菜は、施設に持ち帰って販売し、数万円の売上がある月もあったのですが、それでも振り返ってみると、堆肥や肥料代、種や道具・資材にかかるお金でほとんどが飛んでしまい、何も残らないというのが現状です。種から育てているのですが、その種自体が高く、毎年、堆肥や肥料を施すとなると馬鹿にならない額になりそうなのです。
やはり採算を合わすためには、農場の大規模化と機械化・合理化で、人件費を減らし単一の商品を大量に生産し、大量に流通、消費してゆかなくてはならないということになるのでしょうか。
でもそれでは、障害者にできることは少なく、仕事が奪われていってしまいます。
もう一つ感じたことは、私たちは人に教わり、テキストで学んだとおりに、一生懸命畑を耕し、耕耘機も使い何度も耕して柔らかい土を作り、雑草は敵だと思って懸命に除草しました。野菜にバランスよく栄養を与えるために化学肥料も必要だということなのでそれも施しました。
しかし、土はパサパサ。ひと雨降ればドロドロにぬかるみ、日照りが続くと岩のように固まりました。肥料と堆肥でなんとか野菜は育ちますが、どうも土は痩せていっているようです。
こういった課題を抱えながら、一冬いろんな農法を学んでゆきました。
「お金がかからない農業」「土づくり」「自然に近い農法」「自家採種」「自給農法」など・・・
そして、行きついたのが『自然農』『自然栽培』というものです。
「耕さず、草や虫を敵とせず、肥料・農薬を使わず、自然に任せ、いのちの営みに添い従う。」
そんなことが可能なのかと半信半疑で始めましたが、やるにしたがってなるほどと思うことが多くなりました。畑が緑に覆われ、生き生きとして、生命にあふれてくる様子を見ていると感動をおぼえます。
タネは固定種を播き自家採種して、肥料はわずかに有機肥料をつかうくらい、ほとんど耕さないので機械もいりません。草の根と微生物が土を耕しほくほくにしてくれます。雑草は抜かずに根を残し刈りとって、そのまま草マルチにして堆肥化します。保湿・通気性ともに良好です。
お金がかからず、自然にあふれ、いのちが溢れています。野菜もその生命のつながり(生態系)の中で生き生きと育ちます。
そして、よく耳にするようになったことが生き物たちの「生態系」という言葉です。
畑の中にも、土壌の中にも「生態系」というのが存在しているようです。多種多様な生き物たちのつながり、その「生態系」が豊かで、活発に働き、エネルギーと養分がうまく循環することによって、自然に野菜たちも育ってゆくというもの。同時に、健全な生態系の中では生物のバランスが保たれていて、極端な病気や害虫は現れなくなってゆくとのことです。
でもこの「生態系」という言葉、どこかでよく聞いた言葉だなあ、と思いました。
実は、私は森林インストラクターなのです。
「日本は森林国である」、「健康な森林とはいかなるものか」「森林生態系」ということを幾度も学んできました。日本の林業は生まれ変わろうとしています。
今までは、人工林においては生産性のみを優先して、単一樹種を植え、一斉皆伐することが多く、多様性がなく山が丸裸になったり、間伐をしないままで放置し、林内は過密で暗く、下草が生えず、生き物が少なく、土壌がむき出しで、土砂災害を起こすこともありました。
このような問題点を改善し、広葉樹を含む、モザイク型の混交林を育てたり、皆伐を避けて抜き切りを行い、複層林を育てる。間伐を行い林内環境を整え(採光と通気を良くする)、下草を生やして土壌を覆い、多様な生物が共存できるようにする。常に考えておくべきことは健全な「森林の生態系」を維持してゆくこと。森林の生命活動を活発にすることにより、大気中の二酸化炭素も多く固定化することができる。これによって環境問題が改善し、結局は生産性も向上し(環境と生産性の両立)、持続可能な森林経営ができるようになる。
「森林の生態系」においては、二酸化炭素を固定し有機物を生産する樹木を中心とした植物(生産者)、それを消費する動物(消費者)、有機物を分解する微生物(分解者)の三者がうまく機能して役割を果たし、エネルギーと物質が循環し、多様な生命が共存して、森林環境が永続する。
これが本来、あるべき森林の姿であると考えられています。
よく見てゆくと、畑と森林、両者に共通点がいくつも発見できますね。
単一の植物よりも多種多様の方がいいということ。草を生やして土壌がむき出しにならないようにする。耕さなくても自然の力で生き物が育つ。分解者である微生物の機能を大切にする。生物の多様性を維持している畑や森林は病気も少ない。木や野菜だけを見るのではなく森林や畑全体の生態系を見ながら育成する、などなど。
人間も含めて、生き物というのは、「生態系」=“つながりあい”の中で存在しているということです。その為には、人工的に手を加えること以上に、自然のありのままの姿を受け入れることから始めるほうが近道であるということなのでしょう。
「生態系」とは、生き物と生き物とのつながりであり、助け合い、支え合うシステムのことです。
虫も鳥も魚も動物も、植物も単独では生きてゆけない。
そして、もちろん人間も一人では生きてゆけないのです。
話がだいぶ遠回りになりましたが、私は福祉の仕事をしている以上、最後に人間のことを書き加えなければなりません。
人間にとっても、人と人とのつながり合い、人間以外のいろんな生き物との繋がり、環境との繋がり、つまりは「地球」という大きな生態系の中でのつながりが大切なのです。
人間は、人間だけの力で生きているのではありません。人間の都合だけにあわせて、人間だけが豊かになればいいというものではないのです。それは滅びの道です。
人間も自然環境の中に存在し、地球の生態系を維持している生き物たちの一員でしかないのです。
全ての存在に意味があり、役割があるという観点は、「福祉」の考え方とよく似ています。
ありのままの人間を受け入れてゆくのと、自然な環境の中でつながり合って生きてゆくことが、人間らしい生き方、福祉のあるべき姿ではないでしょうか。
これからは自然をお手本としながら、ありのままの姿を受け入れ共存し、また、人間らしい「愛の心」をそこに足し加えながら人間の役割を果たし、自然と仲良く生きてゆきましょう。
2011.5.22