.

「生態系のバランス」

〜人と自然の調和・共存〜

自然との共同作業

 畑の生態系のバランスを維持し、生命力(生命活動)を高め、物質とエネルギーの循環を活発にすることによって、野菜の成長を促す。
基本、人間が人工的に育てるという考えではなく、自然の力によって育て、人間はそれをサポートする。
野菜づくりは、生態系全体による共同作業なんだ。
人間だけで作っているのではない。みんなが繋がりあい、共同で作り上げている。
だから、収穫を独り占めしようとするのは間違い。虫や鳥やほかの生き物にも少しくらいは分けてあげてもよいではないか。(少々虫が食っているくらいは安全な証拠)あまり欲張り過ぎると、生態系のバランスが崩れてしまう。
何事においてもそうだが、あまり欲張り過ぎるとろくなことにならない。
要は、生態系の中にいる仲間たちを大切にし、環境を守ることである。
人間だけで、人間の都合のいいように、全部独り占めしようとするのが良くない。
生産性を上げるため、お金をかけたことがかえって仇になってくる。
地球環境を守らなくてはいけない。全ての生き物を愛さなくてはいけない。

自然農について(生態系のバランス)

「自然農」、自然に任せるのだから、人間は何もすることはない、「ほっとらかし」にするのか?
というと、そうではない。(放置栽培ではない)

◎  生態系のバランスをとるのが人間の役割。

 人間も自然の一員として役割を果たし、生態系に調和をもたらす。自分たちも生きてゆくために働きかける。(生態系の中で受益者となりえる)人間も含む自然界の全員プレーでの栽培である。
熊や虎が狩りをするのと同じように、人間も生きてゆくために知恵を使い収穫する。それは何ら悪いことではない。自然の働きの一部である。
生きていくためには、食べねばならないし自然界とかかわらなくてはならない。ただ、必要以上に収穫し、自己中心的に周囲の環境を破壊してまで得ようとするのは間違いである。熊も鮭をすべて獲り尽くしはしないし、食べた後は森に還元している。環境を破壊してまで取ろうとはしていない。
自然の生態系を崩すことなく、ダメージを最小限にしながら、循環し回復できる範囲で参加してゆくことが大切。

雑草を取ったとしても取り過ぎない。虫を殺したとしても殺しすぎない。
土に対してもなるべくダメージを与えない。(土の中には生命がいっぱい)
薬品や化学物質をなるべく使わない。自然のものを利用する。
生態系にダメージを与えるような栽培はしない。
増え過ぎたり、減り過ぎたり、偏らないように、安全な方法でバランスをとる。
自然界を生かしながら、自分たち人間も収穫(恵み)を得えて生かされる。
絶滅しそうな種は保護し、異常に繁殖するものは駆除する。
それぞれの地域の気候や地形、特色に合った固有の生態系を維持し、バランスを保ち、生命活動を活発にするために手を加える。そして自分たちも収穫をえて生きてゆく。

雑草が増えすぎたらそれを刈り取る、それは決して悪いことではない。作物の成長を助けるためには、雑草を抑えねばならない時もある。
ただし、取り過ぎてはいけない。草がなくなると土地が乾き、地力も衰えてゆく。
「草生栽培」は、草茫々というものではなく、適度に草を生やしながらバランスをとり、土壌をはじめとする生態系の生命力を活発にするということである。

草はとっても、取り過ぎない。土を掘っても、耕しすぎない。
畑という小さな生態系の中で、バランスよく生命が維持されるように配慮し、作物の成長を促すことが大切なのである。

★  人間の役割=生態系のバランスを保つために手を加える。

 畑の生命活動が盛んであれば、収穫も多くなり、多くの人間が生きてゆける。
「地球」という生態系の生命活動が、健全で活発であれば人間も多くの恩恵を受けるようになる。
人間だけに都合よく、生産性や効率、見栄えや商品規格に合わせることばかりを考えて、農薬や化学肥料を多量に投与すると、その場で一時的に都合の良い結果を得られるかもしれないが、いつか必ず歪みが生じ、土台から破綻してゆかざるをえない。
人と自然、共に生きる道を追求してゆかなくてはいけない。

○  人間がかかわることによって元気になってゆく自然もある。

 必ずしも放置するのが良いとは限らない。人間が手を貸すことによってより一層、生き生きとしてゆく自然もある。昔の「里山」の風景がまさにそうであり、そこでの「生物の多様性」は非常に高いものであった。
生き生きとした生態系を維持するために、人間が手を加えてバランスをとる。
中途半端に手を加えて、その後で放置すると、とんでもないことになる場合もある。
植林して放置した人工林もそう。
木を伐り、鍬を入れて土地が乾燥し、砂漠化してゆく地域も同じ。
極端な品種改良や遺伝子操作、外来種の繁殖など、問題点はたくさんある。
人間も自然の中に参加し、その中で生きようと思うならば、最後まで責任を持ちより理想的なかかわり方を常に考えてゆかなくてはいけない。
自然が喜び、人間も収穫をえて豊かになる。そういった関係を築くことが理想の農業である。

何が正解であるかは、まだまだ分からない。自然の中に入って、一つひとつ自然に問いかけながら模索してゆく以外にない。生きている自然が相手なのだから、決まった答えなどない。愛情をもって見つめながら共に考えてゆきましょう。

2011/11/3

【おまけ】

最近ふと思うことだが、野菜にも心と体があるのではないか・・・

 野菜も人間と同じ、ストレスをかけず、自然の中で精神的にも肉体的にも生き生きと育てたい。
みなさんも、野菜に精神的な面と、肉体的な面があると思いませんか?
野菜を育てるのは子育てと同じです。過保護にしてはいけないし、家の中に閉じこもって、食べ物(栄養)を与えすぎてブクブクに肥満してもよくない。自然治癒力があるにもかかわらず薬ばかり飲んで医者通いするのもどうでしょう・・・
本当の健康な野菜、おいしい野菜とはどうゆう物かを考えてみましょう。
自然の中で生き生きと育つ野菜の方が、きっと野菜本来の味がするのではないでしょうか。

野菜づくりの名人と言われるような方は、大抵、相当な気持ちが入っている、「精魂込めて」とよく言うがそのごとく、魂を投入しているというくらいの愛情を注いでおられる。
不思議なことに、野菜もそれに応えて素晴らしい成長と結果(収穫)をもたらしている。
人と野菜、自然の素晴らしい関係です。
機械的な作業だけでは、到底できるものではありません。

科学・技術が発達して「大量生産」がすすめられているが、物というのはある程度あればそれ以上はいらない。狭い地球なのだからそこで生きる人間の数も、そこで育てられる野菜の量も最終的に限られてくる。ならば、より自然と調和し生態系の中で生きる、より人間らしく、野菜らしい、本来あるべき姿を求めていくべきではないでしょうか。
時代は、物質的な豊かさや便利さを追求する社会よりも、「共生」と「幸福社会」を求めているのです。


.