宮沢賢治の願い
宮沢賢治は、正直な方だと思います。
真実を求める為に、精神世界をさまよい、いろんな宗教に精通されました。
家は浄土真宗ですが、「法華経」を学び、キリスト教にも通じています。特に垣根を設けることもなく、自分が正しいと思うことを、どんどん作品世界に取り入れておられます。
『銀河鉄道の夜』には、法華経と思われる10文字が刻まれた“どこまでも行ける切符”が出てきますし、乗客にはキリスト教信者もいましたし、十字架やパラダイスとみられる到着駅もありました。
「ほんとうの幸せってなんだろう?」「ぼくわからない」と言いながらも、それを求め続け「しっかりやろうね」と言います。
『雨ニモマケズ』では、“デクノボー”と呼ばれてもいい、無力ではあっても、ひたむきな人間になりたいと願っておられます。これが人間の正直な姿ではないかと思うのです。

宮沢賢治は18歳の時に「法華経」に出会って歓喜しました。
賢治が「法華経」を愛したその大きな理由は、現世を肯定的に見る「如来寿量品」(法華経 第十六)に、仏陀は常に(今も)私たちに働きかけている、と記載されているからです。法華経には宇宙的な世界観(宇宙法界)があり、時空を超えていて、仏陀は滅度した後も久遠の教化を続けているということが書かれています。
「我、常にここに在りて、衆生に語る」「彼の中において無上の法を説くなり」(意訳)
賢治は、自分に働きかける心の声に自信を持ち、勇気づけられたのだと思います。この世でも、しっかりと仏の示す道を歩んでゆこうと思ったに違いありません。
「しっかりやろうね」とはこの時からずっと思い続けて来たことなのでしょう。
汗を流し、自然とともに生きようとする農民に対し、少しでも役に立ちたいと農業を研究し、自らも鍬を手に取ったのです。言葉だけを語るのではなく、汗を流し、土と共に生き、この地上に仏の慈悲を神の愛を形にして表わしたいと思ったのです。そうすることによって、その遠い向こうに「ほんとうの幸い」(みんなの幸せ)があるのではないかと思ったのです。
単なる空想を描きたかったのではなく、仏の世界をこの地上に見てみたかったのだと思います。
賢治の思いは、銀河に願いを託すほどに、遠くはかないものだったのかもしれませんが、残された作品によって、それは人々の心に届いて行っているのです。
2024.11.25
【追記】
賢治は、生きて自分に働きかけている仏の存在に気づきました。仏の存在を実感したのです。だから、ふるえるような感動をおぼえました。そして、その言葉も受け止めています。(賢治は常に手帳を持ち歩きながら、与えられた言葉を書き留めるようにしています)
彼は自分の生き方として、現世において、社会の中で生き抜く人びとと共に仏道を求めてゆこうとしたのです。賢治の創作活動は仏道だったのです。
