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人と自然が仲良く生きる世界

人はこれからどこに向かって歩んでいくのだろう?
人間が人間らしく生きてゆく、人と自然が仲良く共存してゆく、
人間も自然の中の一員として、同じ生態系の繋がりの中で共生し、人間らしく愛情をもって生きてゆくことはできるのだろうか?

私は、森林インストラクターとして森の中を歩きながら、重篤な障害児の父親として子育てを行いながら、社会の中で福祉の仕事に携わりながら、考えることがある。
とりとめもない話になりそうだが・・・つづけてみよう。
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何年か前、「エコ検定」で地球環境について学んだ時に、「エコロジカル・フットプリント」(生態学的な足跡)という概念を知った。
※人々が生活に必要な主要な生物資源を得るために、およそどれくらいの地球の面積が必要なのかを表します。(基準値:1.8 ghr/人)
世界中の人が、いま日本人と同じレベルで物質的に豊かな生活をおこなおうとすると地球が二個半いるらしい。(アメリカ人の生活を求めたら地球が4個半いる)
人類全体でみてもすでにオーバーシュート(過剰利用)している状態にある。2007年時点で、世界の人々が持続可能な生活を維持するために、地球一個半が利用されている。その行き過ぎた分が、気候の変動や資源の枯渇、生物多様性の衰退などの環境の変化として現れている。

世の中は経済を中心に動いている。みんなお金がほしい、物質に恵まれて、経済的に豊かな生活がしたいということで、政治においてはいつも経済政策が一番に取り上げられる。

それに引き替え、私の周りにいる障害者は実に慎ましい生活をしている。物はもたず、自分で車を運転することはなく、贅沢な食事もせず、派手な経済活動を行うことがない。世間の常識からいえば、いっぱい働いて経済的に豊かになり、家や車などたくさんの物を持ち、どんどん消費する、贅沢な生活がうらやましがられ、それが善だと思われがちだ。
確かに、人間中心に我が身のことだけ考えるとそうかもしれないが、自然界にとってみれば大きな迷惑になっているところもある。地球レベルで未来のことを考えたなら、慎ましく暮らす障害者の方がよほど善なのかもしれない。
見方を変えると、何が本当に正しいことなのか分からなくなることがある。

ただ、今の人間の欲望(生き方)にはかなりの問題があるようだ。
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 日本では少子化で、高齢者を世話する若者が少なくなり、社会保障を維持できなくなるような事態に陥りつつある。もっと子供を増やさなくてはいけないと少子化対策を叫ぶ。
しかし、世界的に見たならば、人間は増えすぎた。20世紀に爆発的に増え、世界人口は現在70億人を超えこれからもまだまだ増え続けるという。このことが、人が自然の中で仲良く生きようとする上で、大きな関門になっている。

莫大な人数の物質的欲望を満たすためには、膨大なエネルギーが必要になる。
自然エネルギーだけにたよったのでは賄えず、温暖化を招くと分かっていても多量の化石エネルギーを使用し、核廃棄物や放射能汚染の危険をかかえながらも原子力にたよろうとする現実がある。

食糧についても深刻だ。自然の循環に任せた土壌の生産力では、爆発的な人口の増加に対処できず、多くの人が飢えに苦しまざるを得ない。(レスター・ブラウンの「誰が中国を養うのか」という本が話題になったりもした。)そのために戦後、「緑の革命」という処置がとられた。自然の力ではなく、化学肥料と農薬の大量使用により作物を増産した。それに合わせた品種改良を行い、場所を問わず均一な作物を大量に増産することに成功した。(「慣行栽培」として今全世界に普及している栽培方法のことである)

自然を否定し(人工的に)、生態系を破壊してでも作物の増産のために農業を工業化させた。そのことによって何とか人口増に対応することができた(充分とは言えないかもしれないが)。飢え死ぬ人をなくす為には、そうするしかなかったという。
しかし、環境は破壊されてゆき、自然(地球環境)にとっては、必ずしも良いこととは言えなかった。この栽培方法に永続性があり、多様な生命の維持と人間の健康を保証できるとは考えにくい。目先の問題だけではなく、地球全体の未来にわたる問題になりつつある。

自然の理に反することを人間は行ってきたのである。
人間が増え続け、生きるために、その過剰な欲望を満たすために・・・
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人間は増えすぎたからといって、放置して自然の淘汰(飢死)にまかせたり、森林や野菜のように間伐したり間引きしたりすることはできない。生まれて来た以上全力を尽くしてその人を養い、医療や福祉を考えなくてはいけない。
人は人の幸福を願う(福祉の心をもつ)存在なのである。それが人間らしさだ。
それが時として、自然の理や地球環境の維持に反する方向に向かうこともある。

人類に残された時間は、少なくなってきている。
(今のままの状態、今のままの技術では、人口の増加と物質的欲望を支えることはできない。)

私たちは人間らしさを維持しつつも、この地球の上で自然と共生し、共に繁栄してゆく道を、知恵を絞って考えてゆかなくてはいけない。
これからの技術革新は、単に一時的に人間だけが豊かになる為ではなく、自然と仲良く暮らしてゆくための技術でなくてはならない。生態系を豊かにし、自然の力を最大限に発揮させ、その中で人間も自然の中の一員として謙虚に生きてゆく方法を選ぶしかない。

一人ひとりが、自分自身の欲望と戦いながら、本当の人間らしさ、自然と共に生きることの大切さを考え、生き方を改めてゆかなくてはならない。そのような、歴史の転換点がもう目の前に来ているのである。
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 これからの人の生き方を考えるうえで、『生態系』という言葉はキーワードになりそうだ。
人と自然が繋がり合って、いかにして生き生きとした永続性のある生態系を築き、共栄してゆくかということである。
(※私は、「生態系」とは、多様な生命が共存・共生するために必要な、生き物たちの繋がりと、物質とエネルギーの循環だと考えている。)
そのことに、今後の地球環境や福祉、農業(食糧問題)やエネルギーの問題、人間の心と体の健康などがかかってきている。

では今から、森林の中の生態系、畑の中の生態系、人間の中の生態系、地球全体の生態系という具合に順を追って考えてみよう。

 森林の中の生態系

私が「生態系」について考え始めたきっかけは、2005年に「森林インストラクター」になる為に勉強したことに始まる。森林インストラクターの資格試験には必ずといっていいほど、森林生態系に関する問題が出題される。「森林生態系の重要性について、300字以内で書け」とかいう感じの問題である。

 生態系とは、英訳するとエコシステム(eco-system)、物質とエネルギーの循環や生き物たちの繋がりを意味している。森林においては、植物(生産者)と動物(消費者)と微生物(分解者)がうまく繋がり合って、物質とエネルギーが循環し、共生するための一つの環境をつくり上げている。

自然界のみで生態系を構成した場合は、原生林のように遷移の終着点、極相林を形成してゆく。そこには見事な自然の調和と循環がみられる。

そして、そこに人間が入った場合(人間が手を加えた自然)、人間もまた自然の一部(一員)として、その循環のサークルの中に入り、共に生態系を構成し、生物の多様性を保ちながら共存・共栄してゆかなくてはいけない。人工林や雑木林、里山も人の手の入った自然である。

ここで注意しなくてはいけないことは、人間の手が入ったから必ずしも自然破壊ではなく、そこに本来の「里山」のような多様性のある豊かな生態系を築くこともできるということである。

大切なことは、生物の多様性を維持し、活発に生命活動が繰り広げられるように、生態系のバランスをうまくコントロールすること(それが人間の役割)。間伐を行い、樹間の密度調整をしたり、下草を刈り採光や通気を良くしたり、植生を豊かにして生物の多様性を高めたりする。生態系の生命力が高まれば高まるほど、そこからの生産の量や循環の速度、自然の恵みも多く得ることができる。
人が上手に自然に働きかけることにより、循環型の資源である林業生産物(材木)の確保、バイオマスエネルギー、豊かな土壌の形成、そこに貯えられる水資源。森林によって守られる国土、防災機能など、様々なことに役立ちプラスとなってゆく。

森林が果たす多面的機能については、すでに多くのことが語られている。
森林が二酸化炭素を吸収し地球の温暖化を抑制する、森林が光合成を行うことにより有機物を生み出し土壌を形成する。豊かな土壌には豊かな水が貯えられ(緑のダム)、その肥沃な土と水により、里の人々は農業を営む。人が生きていくうえで欠くことのできない水と食料(農産物)は、生態系の働きの中から生み出されている。

近年、山村の過疎化により、放置されている荒れ果てた森林がみられる、これをどうにかうまく手入れしていくことが国全体の大きな課題となっている。

 畑の中の生態系

 森林で形成された土壌と水は、川によって運ばれ平野に豊かな恵みをもたらす。
富山和子先生が著書「水と緑と土」でおっしゃられているように、森林の緑と森林によって形成される土壌と土壌に貯えられた水は繋がっている。どれを欠いたとしても人間は生きてゆくことはできない。

私は、3年半ほど障害者の仲間と共に、福祉農園をおこない野菜作りしていた時期がある。
その時お手本にしていた栽培方法が、川口由一さんの「自然農」や木村秋則さんの「自然栽培」のやり方である。目指していたのは野菜の収穫を得るとともに「自然に感謝しながら、自然と仲良く暮らす」ということであった。
畑の中に循環する「小さな生態系」をつくりたいと思ったのだ。
その生態系の生命活動により作物を育てたい。
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「つばさ農園」の野菜づくりは、自然の生態系・自然の生命力を生かした栽培方法で、化学肥料や農薬は使わず、適度に草を生やし生き物を増やし、土はなるべく動かさず(不耕起)土の中の微生物によって土を肥やす。作物は多品種栽培で多様性を維持し、四季を通じて何らかの作業があり(それが、障害者へのサービス提供につながる)、手作業を中心に、障害者の特性を生かした作業を構成していた。

「緑の革命」以降、一般に行われている慣行栽培とは、方向性や考え方がまるで違っていた。生産性を向上させる為に、化学肥料や農薬を使い、機械化・工業化を行い、海外の輸入作物に対抗するために大規模化を進めようとする今の日本の農業の方向性は、障害者の「福祉」を目的とした農園にはふさわしくないと思われました。

今はやりの「水耕栽培」で、土を使わず、ハウスの中で人工的に養液を使って育てる方法もありました。マニュアル通りにやればよい、工場栽培で作業を構造化しやすく、ステップごとに単純化すれば障害者も取り組みやすいという利点もあるのだが・・・
でも、土を捨て、自然と切り離して栽培してゆく方向に、疑問を感じました。
身体的条件に合うということで一部取り入れることがあっても、基本は「土に始まり、土に返る」農業の本来の姿、人間らしい生き方を大切にして、それを障害者の福祉につなげたいと考えました。

メンバーさんたちは土まみれになりながら、自然の中で生き生きと活動し、毎日が新鮮で新しい発見と生産の喜びを感じていました。
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 木村さんの教えによると、「自然栽培」とは人間はなにもせず自然のままに放置する栽培ではなく、人間も自然の中の一員としてその生態系の中に参加し、自然がよりその生命力を発揮し、作物が育つように手助けする。
慣行栽培と根本的にその方向性が違うのは、自然に反する方法(農薬や化学肥料を使う)ではなく、自然の手助けを行い、豊かな生態系を保ち、その「生命力」を活用して栽培を行うということです。
ですから、土と土の中にいる微生物を大切にしますし、生物の多様性を保ちその連携によって畑の生態系のバランスを取ろうとされていますし、個々の作物の「植物免疫」を高めるにより病気に対抗したりされます。

 長年、木村さんのリンゴ園を観察し研究を進めてこられた杉山修一教授は、自然栽培の畑は、人間が適度に攪乱することにより維持してきた生態系である里山と似ている、と言われます。自然栽培は『里山農業』なのです。

 自然栽培と聞くとなにか原始的なイメージを持ちますが、技術的には自然と対話し共生するという、より繊細で高度なレベルの技術を必要とするため、最先端の栽培方法です。ただこれが、福祉目的や自給レベルのことならば可能ですが、人口の爆発によって増えた人類の飢えた人々を食べさすとなると、方向性は正しくとも普及の方法や技術的にもさらなる飛躍が要求されます。

自然栽培のメリットは、

@コストがかからない
(化学肥料や農薬がいらない。大型の機械や設備もいらない。燃料代もいりません。)
A人に優しい
(安心・安全な作物を作ることができる。有害な農薬や硝酸態窒素を含まない。)
B環境に優しい
(農薬や化学物質の使用による生物の減少、富栄養化による環境の汚染などがない。)
ということです。

 人間の中の生態系(共生関係)

 健康な森林や畑の一握りの土の中には、何十億という微生物(細菌やバクテリア)がすんでいます。落ち葉や死骸、排泄物などの有機物は、微生物によって分解され、肥沃な土壌に還元されます。土は生命の集合体なのです。

微生物が多くすむ健康な土ならば、物質とエネルギーの循環(窒素循環など)は、自然な生態系の働きとして起こり、別に肥料や農薬を入れなくても農作物は育つのです。
逆に、農薬と化学肥料を入れると、人工生産物としての野菜は大きく育ちますが、土は死んでゆきます。地力は失われてゆくのです。

私たちは、その土によって栽培された農作物を食べて生きています。
みなさんは人間の体の中にも生態系の一部とみられる共生関係があることを知っていましたか?(厳密には、生産者である植物が人体にはありませんので、系として自体内で完結するものではありません。あくまでも共生関係があるということです。)
人間は自然の集合体であり、体の中で生き物たちが繋がり合って共生しているのです。

昔、NHKか何かの番組で、「人体は小宇宙である」というようなことが言われていました。まことにその通りで、人体ではミクロの世界で不思議なことがいっぱい起こっています。
私の個人的な感想としては、特に胃と腸は畑の土壌に似ているなと思います。(突拍子な話ですが)そこにはたくさんの生命が存在し、人間と共生して生態系を築いているのです。

人間の細胞は全部で60兆個と言われています。しかし、胃や腸の中に住んでいる細菌は100兆個を超えているとも言われています。人の細胞以上の数の生き物が人体の中にすんでいるのです。
畑の中の微生物に似ていて、善玉菌は胃腸の働きを助け、免疫細胞と情報の交換を行ったりします。(人間の免疫細胞の60%は胃腸に集まっています)このような畑(ではなかった)、胃腸の生態系のバランスによって健康は保たれているのです。
免疫細胞は、自己と非自己を識別し、異物と判断したものを攻撃します。
近年、アレルギーや免疫不全の人が増えていたり、特定の栄養素をうまく吸収できていなかったりするのは、この辺の機能がうまく働いていないからではないかと思われます。

畑に化学肥料と農薬を多量にまくと、土壌の微生物は死滅し、畑の生態系は大きく崩れて生命体としての機能を失ってしまいます。たとえ野菜は大きく成長して見栄えがよくなったとしても、それで本当に安全で健康に良い物になったのか、環境にいい影響を与えているのかは疑問です。

私たちの身の回りには抗菌物質でいっぱいです。農作物に含まれる硝酸態窒素や残留農薬、水には塩素や重金属、多くの食品には防腐剤や保存料などの添加物が含まれています。もちろん、 保健所などで安全性を繰り返しチェックして、人体に影響がない分量と決められていることと思います。確かに人間の細胞を直接破壊するような影響力はないでしょう。しかし、胃腸の中に共存している細菌たちにとってはどうでしょう?(腸内環境は混乱していると思います)
人体の中は、人間の細胞だけでなく、いろんな微生物との共生関係があるはずです。
畑に農薬をまくごとく、腸の中の微生物の構成は大きく変化しているのではないでしょうか。これが、人間の健康や精神状態に大きく影響を与えているとも言われています。
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戦後、高度経済成長があり環境汚染が進み、「緑の革命」以降、アレルギーや精神疾患、様々な病気や障害の症状に影響を与えてきたのではないかと推測されています。

一つの例として発達障害について考えてみましょう。
「自閉症」の原因はあきらかではありませんが、基本的には脳の障害です。遺伝的要因も関与していると言われています。そして検査してみると、消化器官や体質に異常があったり、重金属や化学物質に敏感であったり、そのことが相まっていろんな症状や特性として現れたりします。
保護者の方の中には、脳の障害であることは理解していながらも、その症状の軽減のために、デトックス療法を行ったり、体質改善のためにサプリメントや乳酸菌を服用したりされている方もいます。欧米では早くから、バイオメディカルの研究が進められています。

日本ではようやく環境省が2011年より「エコチル調査」というものを始めました。
10万組の子どもたちと両親の変化を13年間追跡調査し、胎児期から小児期にかけての化学物質曝露が、子どもの健康にどのような影響を与えているのかを明らかにします。
ただ、結果を見極め、具体的な対策に結びつくまでには、まだまだ遠く、時間がかかりそうです。

エコチル調査のホームページを見ると、化学物質の影響や病気や障害との因果関係についての「仮説集」に挙げられている疾患や障害の中には、アレルギーやアトピー、精神疾患、免疫不全、ADHDや自閉症などの発達障害なども含まれています。

●環境省「エコチル調査」〜子供の健康と環境に関する全国調査〜
http://www.env.go.jp/chemi/ceh/index.html

人間は自然と分離し、人間自身が自然の一部でありその集合体であることを忘れているのです。自然を破壊することは、自分自身を破壊するのと同じです。

 地球全体の生態系

最後に、簡単に地球全体の生態系について、お話しをさせていただきます。

これまでの説明でおそらく、人と自然が仲良く共生すること。生態系のバランスを取ることがいかに大切で、人間中心主義、人間だけが良ければいい、といった欲望を満たし我が身のことばかりを考えていると破滅を招くということも、お分かり頂けたかと思います。

 国と国の間には国境があり、政治は自国の国益を追求し、いかに国際競争力を高め経済的に豊かになるかを目指しています。でも水や空気、気候には国境はありません。環境問題は地球全体の問題です。
昔は、世界は広い、開拓すれば土地も資源もいくらでもあるというような時代でしたが、今は人口が増え、移動も簡単にでき、ネットワークで繋がった世界は一体となって動くことができます。
地球は、人類の規模から考えれば、小さな「地球」、そこで資源を分かち合いながら、自然を大切に守り共生しながら、健康な地球規模の生態系を維持してゆかなくてはなりません。

小さな小さな土の中にすむミクロの微生物も大切にしながら、一つの地球という生命体を守って、未来へと繋いでゆかなくてはいけません。
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 私たちは、相変わらずですが、障害のあるメンバーさんと共に、これらのことを語り合いながら、「人と自然が仲良く暮らしてゆく」そんな生活を畑の中で見つけてみたいと考えています。
小さな畑ですが、そこから未来が見えるような気がするのです。

2014.2.1 俊邦父

【主要参考文献】

「水と緑と土」富山和子 著
「環境問題とは何か」富山和子 著
「土の学校」木村秋則・石川拓治 著
「すごい畑のすごい土」杉山修一 著
eco検定」公式テキスト 東京商工会議所


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