畑の中で考え、大切にしていること

自然の中での作業は、時に厳しく、人によっては「しんどい、辛い」「重労働、汚れる」「虫に刺される、日焼けする、面白くない・・・」と言う。
現に、真夏の畑は日陰もなく、熱中症で倒れそうになるし、冬は水が冷たくて手がかじかむ。何十日も雨が降らなかったり、逆に大雨になったり、気まぐれなお天気に振り回されることもある。

でも、私は畑が好きだ。「楽しい」と思っているし、畑に行くとワクワクする。
私は畑をもっと楽しい場所に変えてゆきたい。
特に福祉スタッフとして参加される場合、スタッフがまず楽しく、やりがいを感じなければ、それをメンバーさん(利用者)に伝えることはできない。

私たちが行う農園は、そこで生計を立てるプロの農業ではないので、「福祉農園」なのだから福祉施設らしく、「生命」を大切にする。多様性を認め「共生」してゆくという理念のもとに栽培に取り組めばいいのではないかと思います。

〇 自然の営みに沿う

畑では、「自然」の営み、躍動感、生命力を肌で感じることができる。
「自然」とは=“生き物”の集まりである。個々においても、総体としても生きている。
生きているということは、成長するということ(移り変わってゆく)。留まることはない。
自然界ではそれを「遷移」(植生遷移)と呼ぶ。
人が別に肥料をやらなくても、水撒きをしなくても、それぞれの土地、気候に応じて、発達・変化してゆき、最終的には「極相」(クライマックス)と呼ばれる遷移の終着点に向かってゆく。

日本は、温暖で降雨に恵まれ、9割を超える土地で森林が成立する「森林国」だ。
平野部においては、ほとんどが鎮守の森に代表されるような、最終的には常緑の広葉樹林=「照葉樹」の森になる。自然がどういう方向に進み、どのような営みをしているのかを感じながら、自然に寄りそってゆくのが、まず楽しい。

 大阪のこの土地、アスファルトとコンクリートを引き剥がし、素のままの土(裸地)にすると、数百年たてば森になるだろうか・・・想像力を膨らましてゆく。

私たちは「自然農法」を取り入れてみたいと思っているが、時々誤解されることがある。
「自然に任せるのだから、放っとらかしでいいのでしょう?」と、しかし、自然は畑に向かって進んでいるのではないのだから、当然、放置していると畑を通り越してどうしようもない藪になってしまいます。遷移の進行を草の段階でとどめ、循環させてゆく、そして活発な「畑の生態系」(草のレベルの生態系)を築いてゆく。遷移をコントロールするのが「農業の技術」だと考えています。

〇 季節ごとの自然の営み

自然界には四季折々の変化があり、季節に応じた自然の営みがある。
畑においても季節ごとの成長サイクルを繰り返しながら、一年一年成長して土壌を育んでゆくのです。

春は芽吹きと、大事に苗を育ててゆく「保育」の季節。
夏はしっかりと葉を伸ばし「光合成」を行う(働く)成長の季節。
秋には実りの季節(収穫)であると共に、自分の足元に葉を落とし土に返してゆく期間。
(それを微生物が分解して栄養素と変えてゆく)
冬は休眠しながらエネルギーを貯えてゆく季節。畑においては翌年に向けての準備期間。

季節には季節のやるべきことがある。
春には、幼い野菜の苗を雑草との競争から守ってあげないといけないし、乾いたときには水を与えなくてはいけない。「保育」の期間です。
刈った草はその場に置くか、畝の上に「草マルチ」としてかぶせておく。(お布団をかぶせてあげるように)
夏には草が伸びるのがあたりまえ。しっかりと光合成して炭素を固定し、生命の素材を貯えてゆく。秋になってそれを土に返し、土が地力・生命力をつけてゆく。それが翌年の成長へとつながってゆきます。
栽培は「支援」(サポート)だと考えている。

個々の植物には生命力があり、基本自力で育ってゆくのですが、弱者であり人間の都合によって栽培している野菜にはサポートが必要です。だから彼らを守り育て支援する。畑の生態系の中で共生してゆけるように守ってあげるのです。
全体として生態系の活力を高めてゆくとともに、個においても一つひとつ(一人ひとり)を大切に、個々の生命力を引き出してゆくような栽培(支援)を行う。

〇 みどりを大切に

私は「みどり」を大切にしたい。土の中の生き物(ミミズや微生物)を大切にしたい。
生命の循環や心のつながりを大切にしたいと、常日頃から考えています。

今までの農業でよくなかったことは、
緑を大切にしない。草を悪者にし、すべて刈り取って(あるいは除草剤で殺して)捨ててしまう。
土を耕し過ぎる。土は「生き物」のかたまり、一握りに何十億と言う微生物が住んでいる。それを繰り返し全面耕耘することにより殺している。土は疲弊してパサパサになる。
緑(有機物)を土に返すことなく撤去し、土を裸にしてしまい、日照りにさらしてしまう。土は焼けて砂埃となり、土壌が流出する。

故、スタインベックが『怒りの葡萄』で記したように、「獅子鼻の怪物」(トラクターのこと)の出現により耕し過ぎて土壌を粉砕し、ダストボウル(砂嵐)の大惨事を招いた。住めなくなった土地を捨て、改造トラックに家財を積み込んでルート66を西(カリフォルニア)へと向かった光景が目に浮かぶ。

写真  しあわせ農園の特徴は、一見して分かるように緑が多いということ。

 

私のやりたいことは

@     「緑」を増やしてゆきたい。大切にしたい。
雑草も悪者とせず、共生してゆきたい。
このような栽培方法を『草生栽培』(草を生かす栽培)と言うが、『共生栽培』と呼んでもいい。木々も草花も虫たちも、土の中にいるミミズや微生物たちも、つながりあって一つの輪を作り共生してゆく。

A     「土」を大切にしたい。なるべく耕さない。
「土」を命あるものとみて、土を痛めつけない。土の中の生き物(微生物)を殺さない。
土の中の微生物を育てたい。植物と微生物の共生関係を大切にしたい。

B     「土から出たものは土に返す」という有機栽培の原則を守ってゆきたい。(アルバート・ハワードが「農業聖典」で主張したこと)自然の循環システムを大切にしたい。
繋がり合い、循環しながら成長してゆく。これを『生態系栽培』と呼ぶ。自然の営みに沿った栽培(循環農法)を行うということ。

以前、お話ししたように「しあわせ農園」では、(しあわせ農園のコンセプト)
生命のつながりを大切にしたい。心のつながりを感じられる畑にしたい、と言うことなんです。
その中で自然の恵みと愛を感じ、ともに幸せになれればいいなと考えています。

生命のつながりについては「生態系」を学んでゆけばいい。
畑は生態系を学ぶことのできる最良の教材です。毎年、毎年、生き物たちが繋がり合って循環してゆきます。(それを見てゆくのがとても面白い)
科学的には、「生命の素材」であるC(炭素)O(酸素)H(水素)N(窒素)の自然界における循環を学んでゆけばいい。(これは、次回の宿題です)

〇 畑から地球環境へ

1992年リオデジャネイロで開かれた地球サミットで取り上げられたように、
今の環境活動の二本柱は、地球温暖化対策と生物多様性の維持の二つです。
その為、「気候変動枠組条約」と「生物多様性条約」の二つの条約を提起し、COPと言う会議で繰り返し論じあうようになりました。

「緑」を増やすということは、それだけ光合成がおこなわれ、空気中の二酸化炭素が吸収固定されてゆくということ。そしてそれを有機物として土に返せば、土の中に固定されます。

2015COP21「パリ協定」では、長期目標として、今世紀後半に、世界全体の温室効果ガス排出量を、生態系が吸収できる範囲に収めるという目標が掲げられました。これは取りも直さず、森林に代表される「緑」の光合成により吸収固定するCO2の量を超えないということです。
地球温暖化の根本的な解決は、CO2の排出量を減らしてゆくことだけでなく、「緑」を増やしてゆくことにかかっているのです。

今までは、「切る」「掘る」「燃やす」で二酸化炭素を排出してきました。
これからは「緑を増やし」「耕さず」「土に返してゆく」で二酸化炭素を固定してゆくのです。

草を生やし、土を大切にするということは、生物の多様性を高めます。
最近の科学データによれば、我々の足の下にいる生命の総量は、地上で観察される全部よりはるかに多いらしい。とすれば、土を守ることは生命を守ること、生命の多様性を維持することにつながります。
私は畑で、緑がいっぱい、生き物がいっぱいの世界を作りたいのです。

「共生の理論」は地球と仲良く暮らすことです。
そして、循環システムの維持は、持続可能(Sustainableな世の中、「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」につながってゆきます。
自然の生態系の中に溶けこみ、その一員として生きることが大切なのです。

どうですか? 畑を見る目が少し変わりましたか。楽しくなってきませんか。
こういったことを考えながら、利用者さんと自然の中で伸び伸びと活動してゆく。
共に楽しみながら、しあわせな一時をお過ごしください。



※ 光合成・・・・太陽エネルギーを利用して、植物が葉緑素のはたらきで、空気中の二酸化炭素と水を合成して、糖をつくりだす作用こと。気体の炭素を炭水化物として固定し体内に取り込むこと。そして、やがてそれは土の中に蓄積されてゆく。


※ ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』
言わずと知れたピューリッツァー賞を受賞した、ノーベル賞作家スタインベックの代表作。アメリカで3本の指に入るであろう小説、アメリカらしい力強さのある作品です。
世界恐慌の後、資本主義の波に襲われ、機械化によりアメリカの中南部がトラクターによって蹂躙され、ダストボール(砂嵐)をまねく。土地を奪われ避難民となった彼らは、ルート66をたどりながらカリフォルニアを目指す。乳と密の流れる夢にまで見たあこがれの地、しかしそこには恐ろしいまでの格差社会が待っている。
貧困と災害により極限にまで追い詰められながらも、人間の生きる力と結束力を見せつける感動作です。

この本は、@資本主義の矛盾と格差社会の問題、A生態系に反する農業の工業化について疑問を投げかけるだけでなく、第三のテーマとして、「生命のつながり」と「魂のつながり」を説いている。私はそれがこの作品で一番深い部分でありスタインベックの伝えたいことなのだろうと思う。
主人公トム・ジョードは、物語の中で説教師ケイシーの言葉を借り、「自分だけの魂なんてない。自分にあるのは一つの大きな魂のほんのひとかけらだけだ」と言った。
また、旧約聖書「伝道の書」から引用し、「二人は一人に勝る。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。すなわち彼らが倒れる時には、その一人がその友を助け起こす。」と言う。
みんなが繋がっていて、一つの心(魂)をなしていると見ている。私は一人であって一人でない。それがスタインベックの世界観であり、神観であり、世界を変えていく大きな力(潮流)になりえると考えているのである。

2018.8.24 井口隆弘