『人と緑のノーマライゼイション』 皆さんは「ノーマライゼイション」という言葉をご存知だろうか? 私の子どもは重度の知的障害者(自閉症)である。だからこの言葉は数限りなく耳にし、考えもしてきた。 ○ 多様性を認める社会=ノーマルな社会 大切なことは人間社会においても、いろんな人がいる「多様性」を認めるということ。 もう一つ気になることがある。 私はその障害者とともに、約5年間、福祉農園に携わってきた。 畑は生命を育む場所。緑あふれる、生き物の楽園であってほしい。 2年目より私たちは、農薬と化学肥料を使わず、腐葉土と堆肥を入れ、なるべく自然に近い「有機栽培」を行おうと、自然農や自然栽培を学んでいった。少なくとも「福祉」を目的として活動している我々の農園ではそうしてゆきたいと思った。 このような話は何も今になって始まったことではない。 しかし、農業で機械化が進んだり、化学肥料や農薬を多用し始めたのは戦後のことであり、それまでは概ね「有機栽培」や「循環農法」に近い伝統的な自然の営みに即した農業を行ってきた。それが従来の「あたりまえの農業」だったのである。田舎に行けば駅の街灯に虫がわんさとたかっており、近くの小川やため池には魚が群れをなして泳いでいて手づかみでつかめるほどだった。緑は濃く、あたり一面草が生え、土の匂いがしていた。みんな庭先で鳥(ニワトリ)を飼っていた。畑の隅には肥溜めがあり、人糞も肥料だった。 第2次大戦後、爆発的に増えてきた人口に対処する為、食糧の大量生産が求められた、その手段としてとられたのが『緑の革命』と呼ばれる「農業の工業化」であり、大規模化とモノカルチャー(単一栽培)が進められてきた。機械化による農地の拡大、化学肥料による収量の増加、農薬散布による害虫・病気・雑草の除去。そしてこのような化学栽培に適する品種の改良、生産効率化を図るために単一栽培を行う。一見、どれもいいようにも聞こえる。人間にとって実に都合のいいことばかりのようだ・・・でも実際はどうだったのか? 大型機械による耕耘は土地を疲弊させる。耕せば耕すほど土壌の生態系を崩し土は痩せてゆく。 人間は自然の一部であり、自然と調和し共存する道を選ばなければ、単独では生きてゆけない。といった「謙虚」な姿勢、生かされていることに対する「感謝」の気持ちが必要である。 ○ 緑のノーマライゼイション 「緑の革命」の次に来るべきものは、「緑のノーマライゼイション」だと思う。 その実例としては、無農薬・無化学肥料による栽培、循環型の有機栽培、不耕起栽培、草生栽培、多品種栽培、そして究めれば自然農・自然栽培といった自然農法も可能だということです。ケースによってある程度はやむを得ないと思いますが、なるべく農薬を減らし、毒性の低いものとし、なるべく自然の生態系に即した栽培方法をとることの方が無難なのではないでしょうか。 有機栽培を実践されている方の中には「戦争はまだ終わっていない」と言われる方がいます。 ちなみに、林業においても近年、生物の多様性は重視されており、より健全な森林の生態系を造成する為、天然林を保全し、人工林においても間伐などの手入れを進め林床の植生を豊かにし、皆伐はなるべく避けたり、スギ・ヒノキばかりではなく広葉樹との混交林を広めたりする動きもみられます。単に材木をとるだけを目的とするのではなく、森林の多面的機能を重視するという考え方が広まっているのです。 このように見ていくと、人間社会も農業も林業も自然世界も共通点・共通の課題が多くみられることがわかります。(「自然の理」にそぐわないことをしてもダメだということ)調和・共生すること、多様性(個性)を尊重すること、生命の営みを大切にすること(自然の循環・生態系のバランスを大切にすること)、愛情をもって他者を見ること、必要以上は求めない「足るを知る」こと、生かされていることに「感謝」すること、など・・・このようなことを思いながら、精一杯与えられた命を生きていくこと、こういう「生き方」が大切なんだと思いました。 最後に、障害のある子をもつ親として書き加えておきたい。 わが子が障害を持って生まれるということは、親として大変つらいことである。 私は、人と自然についてずっと考えてきました。 やはり多くの障害や病気は、環境因子、自然に対して行ってきた人間の破壊行為、化学物質による汚染、不自然な環境や生き方、そしてその遺伝による蓄積などが原因しているのではないかと薄々感じています。(半分以上はそうではないでしょうか) ○ 人間は生命の集合体 人間は「生命の集合体」です。人間自体の中には自己の細胞の数より多い微生物がすんでいます。 ※農薬の中にはかつて水銀や重金属を多く含むものもありました。土壌の中には分解されない化学物質や重金属が蓄積されている可能性があります。最近の学説の中には、発達障害は母親の腸内細菌の減少が影響しているという説もあります。 自然破壊・環境汚染は異常なレベルにまで進んでいます。 ○ 人としてどう生きるかは、その人の「良心」が決めること。 私は、人にも自然にも優しい世界を築いてゆきたい。自然と仲良く共生したい。その中で「自然の理」に沿ったノーマルな(普通の)生き方をしてゆきたい、と思っています。ですからこの度、少々突飛ではありますが「人と緑のノーマライゼイション」という題で稿を記してみたのです。 人知の及ぶ世界などまだまだわずかなものです。最終的な答えは神のみぞ知るのでしょう。 2016.3.20 俊邦父 |