小農と生きる為の農業

〜国連「家族農業の10年」と共に歩む〜

青空の下で

青空の下で農業をしたい。
自然の中に飛び込んでゆきたい。毎日を畑の中で過ごしたい。
もっと自由になりたい。
そんな、のどかな気分になることがある。

「しあわせ農園」は個人でやっているものだから、家庭で畑を自由に使える。
私と俊と、私たち家族の自由があそこにはある。
自然に受け入れられ、自然と共に生きる場所がある。

自由でない畑は、青空を見ることのできない畑。
青空を見ることのできる畑でありたい。

地球の未来を決める10年

最近気づいたことなのですが、2019年から2028年までは国連の「家族農業の10年」に当たるそうです。
今までは、貨幣経済に押されて、大規模化、機械化、利潤ばかりを追い求めてきましたが、世界ではちょっと違った事情にあるようです。世界の農場の90%以上が家族農業で、食料の80%は家族農業が提供している。国連はそれに気づき、農業のグローバル化ではなく小規模農業をサポートすることに舵を切りました。
今では、小規模農業こそが、多様性を維持し、アグロエコロジーを実現し、SDGsの目標を達成することができる。地球環境を守り、世界を救いえる鍵となるのだと言っています。

小規模農業を障害者と共に行うということは意味のあることだと思っています。
国連は、2018年12月17日に「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」を行いました。
私は「農福連携」でこの流れに参加してゆきたいと考えています。

畑友達を増やして、畑から自然環境問題へと意識を高め、活動を広げて行くということもできます。
人―農園―自然環境、は繋がっているのです。

SDGsとアグロエコロジー

SDGs(Sustainable Development Goals)とは「持続可能な開発目標」のことを言い、世界を変えるための17の目標があります。その中でも特に、貧困と飢餓、格差の問題、気候変動、持続可能な社会への移行、などに対して「家族農業」は大きな影響力があります。

世界の貧困・飢餓人口の約80%が農村地域で生活しており、その大部分が農林水産業を生業としています。貨幣経済とグローバル化の波により、農業の工業化が進み、仕事も土地も奪われて貧困にあえぐ人たちが多くいるのです。今、望まれているのは、「家族農業」(小規模農業)の自立と地域コミュニティによる自治です。アメリカではCSA(コミュニティー支援型農業)が普及していっています。自給・自立、地産地消、ステイ・ローカル!なのです。

アグロエコロジーとは直訳すれば、「農業生態学」という意味ですが、生態学にとどまるだけでなく、生態系サービスを活用する農法(生態系農業)を実践すること。化石燃料の使用を控えて持続可能な循環型の農業を行う。無農薬・無化学肥料の栽培。生物多様性を豊かにし、活力ある土壌を育んでゆく。生態系を生かした農業、環境にやさしい農業。そして、それを実現するための農と環境に関する社会運動に至るまで、その解釈は広まっています。

生きる為の農業

農業とは元来、生きてゆくためのもの。
あくまでも生きてゆくための手段として行うべきものです。(生存と生活を保障するもの)貨幣経済やグローバル化の波に飲み込まれ、金儲けの為に行うべきものではありません。

農作物は自分たちの血と肉になるもので、貨幣によって左右されるべきものではない。それを、企業が独占したり、市場で売りたたいたりして、奪い取るから飢えと貧困が生じるのです。いかなる時代になっても、農業さえ守り通していれば、飢えて死ぬことなどありません。農業は生きてゆくためのベース(土台)なのです。自主・自立(自給)が農家の底力だといってもいい。

農業は、営利とは別のもの。生きるために行っているし、生かすために分かち合っている。自分自身の自立と独立の為にやっているのです。

私のような、取るに足らない弱小準農家が、こんな大それたことを言うのは、かなり気が引けましたが、普通の人が普通にできる農業、鍬と鎌と竹べらがあれば簡単にできる。環境に負荷もかからない、自然な農業、それが大切なんだと思うから書きました。

「小農」は世界を救う

小規模な農業がなぜ地球を救えるのか?
わかりやすく言えばこうです。

資本に物を言わせて、農業を工業化して、単一のものを大量生産する。
100ヘクタールの土地を一人で買い占め、工業化すると、多くの人が土地を失い失業する。富の集中と格差が生じる。(価格競争に負け、事業に失敗すると、その土地は放置される)
だから100haを10人で耕した方がリスクは少ない。100haを百人で耕したら100人が食っていける。
さらに、100haを一人1反(10a)ずつ所有すれば、1000人の人が自給できる。

小面積であれば、機械もいらないし、資本もかからない。多品種栽培になり生物の多様性は保たれ、無農薬・無化学肥料であっても手作業で対応できる。多くの人が集まるので、地域にコミュニティができる。地産地消で物流のエネルギーもいらない。生物多様性が保たれ、化石エネルギーの浪費が抑えられ、地球温暖化に対応でき、貧困と飢餓を減らすことができる。ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、地球の為にもなるのです。緑が増え、有機物が土の中に蓄えられると(肥えた土になると)その分、地中にCO2を固定したことになります。

金儲けの為にやっているのではなく、“命の糧”を得るためにやっているのです。
本来、人間は「農業+α」で生きるべきです。(αは貨幣収入を得るための副業、現代人ですから自給していても多少のお金はいります)小農と小コミュニティで助け合って生きてゆく。何でもかんでもグローバル化で、価格競争にさらすのがいいというわけではありません。半分自給して、あとは分かち合いで生きてゆくのです。

海外では、自給農業が文化として根付いている国もあります。
デンマークではコロニヘーヴ、ロシアではダーチャ、都会人であっても週末には郊外の農園(コテージ付き個人農園)へ行き、自分で食べる野菜は自分で作る。そして、自然の中で家族や仲間たちと過ごすのを楽しみにされています。「市民皆農」の理想的な姿がそこにはあります。

それぞれが自立し、生かされてこそ、多様性と協調(バランス)が保たれ、地球環境は守られてゆく。「小農」は世界を救うのです。

生命について根本から考える

生きる為の農業は、バイオメディカルにも通じるところがあります。
バイオメディカルとは、生命について、その根本から考える学問であり、医療です。(生命について根本的に考える医学ということ。

そして、分子栄養学は、分子レベルでDNAのニーズに応える栄養学。
オーソモレキュラーは、身体に必要な最適量の栄養素を補給するということ。これらが、自閉症や発達障害の治療に役立つと注目されています。

今、世界では、8億人が慢性的な飢餓状態にあり、20億人が微量栄養素の欠乏症であるという。先進国であっても質的な栄養失調に陥る可能性があるのです。多くの方が農薬や有害化学物質による汚染で苦しんでいます。(それが障害へとつながることもある)そのために栄養療法やデトックスに取り組んでいる人もいます。

しかし、基本は自然のものを自然の循環の中で食べる。有機野菜・自然栽培の野菜はビタミン・ミネラルが豊富です。全ての栄養は、土と水と太陽の光からやって来ます。土は生命の源。生命は農業と自然環境につながっているのです。

人のDNAが本当に求めているのは自然であり、自然の栄養素なのかもしれません。

自由であること

私は私の答えを生きる。小農主義、私と俊と家庭においてはぶれることなく「自然共生農園」を実践してゆこう。まずは自分の家庭。自分の畑が実践の場。それがすべての思想の「核」になる部分です。そこに自由を失ったなら、他に求めることはできません。

大きさよりも中身。自分の自由な発想を、そこで試すことができる。
一番大切なことは、「核」を失わないこと。自分の畑を持っているということは大きなことなのです。

畑の中に「自由」があり、理念があり、夢と理想があり、実践と結果があり、「幸せ」がある。小規模家族農業からはじめよう!

想いが進化を呼ぶ。(想いがなければ、何も始まらない)

まずは、「自由」であること。そして「理想」を思い描くこと、小さくてもそれを「実践」してゆくこと。私の理想とするところは、農業を通じて、人と自然が一つになること。共生し、ともに幸せになること。そのような「夢」を実現させてゆこう。

畑友達を大切にする。これを2020年の目標としよう。そこから何かが広がってゆくにちがいない。

ラスト・チャレンジ

2019年〜2028年は特別な10年。
人も地球もギリギリのところで判断と転換とチャレンジを迫られている。
この10年をどう生きるかが重要。

歴史が記録する、地球の未来を左右する、特別な意味をもつ10年なのです。その10年を私はどう過ごすのか? 我々は「地球を救う機会を持つ最後の世代」なのかもしれません。
15歳の少女(グレタさん)でさえ、覚悟を決めて歩み出しています。
学校を休んでまで活動に参加し、国連で堂々と発言している。

「本物」を見つけに行くべきだ。そして、チャレンジしよう!

小さくてもいい(小農)、儲からなくてもいい。
しっかりとした意味と価値をもって歩んでいれば、存在し続けられる。生きる資格はある。生きるために働く、それを障碍者の自立の為に、共に行うことには大きな意味がある。家族農業、障碍者と共に小規模の福祉農園をぜひ進めてゆこう!

障碍者の福祉施設は家族みたいなものだから、そこでやる農業は「家族農業」と言っていい。あくまでも、営利目的ではなく、自然と調和しながら、自給・自立(独立)、および福祉目的で(その人たちの幸せの為に)やるのです。

農業は「生活」の為、生きる為。

農業は「就労」ではなく、「生活」なのかもしれません。(私はそう思うようになってきました)
生きる為に行う。農業は生活なのだから、生活支援(あるいは生活介護)の中でやるのがふさわしい。金のためにやっているのではなく、生きるためにやっているのです。(厚労省の“工賃倍増計画”は、福祉農園にはふさわしくありません)

農業は、障害があっても働く能力のある、健康で機能の高い人がやるべきことだと思っていました。しかしそれは間違いのようです。農業は万人が「生きる為」に行うことです。

能力の高低だけの問題ではない。介助をされながら、畑の中で土いじりをしているだけでも良い。生命の生じる場に、共にいるというだけでも意味があるのです。

もちろん作業面や、生産性からいうと、能力の高いB型の障害者施設の方がやりやすい。(結果も出しやすい)でも、障害が重くても、土と共に生きているのは同じです。彼らは、土に触れ、収穫の場で声を上げて喜んでいます。

私の子供は、生活介護の支援を受けており、しかもその中でも重度の部類に入ります。それでも畑に行くし、畑に連れてゆきたい。そこが生命の場所(人間存在の根本)“命の糧”を得るための場所だからです。(金儲けの場所ではない)

畑は生命の場所。人間存在の根本。人は土から生まれました、そこに神様が魂を吹き込んだのです。だから私も、(魂を吹き込むとまではいかないが、笑)心を大切にしながら畑の中で活動してゆきます。

おいしい野菜を作って人々に「命の糧」として喜んでもらう。
ほんの少しでも「生命の場」に参加させたい。生命の躍動に触れさせたい。生命のつながりと喜びを感じさせたい。だから私は子供を(障害があっても)連れてゆきたい、そう思うのです。

2020.2.16 俊邦父

【追記】

そもそも、農業に「業」という文字をつけること自体に、問題があるのかもしれない。もちろん「業」としてされている方もおられるだろうが、生きる為、生活のためにやっている方もいる。だからそれは、「生活農」、「自立農」、「自給農」とでもいうべきか、あるいはシンプルに「農」という言葉を使い「自然農」と言い切った川口さんは立派だと思います。

長々と、偉そうなことを書いてきたが、実際のところは、自給するのは簡単なことではないし、お金儲けも難しい。子供の介護もあるので、なかなか都会を離れられない・・・・

ただ、週末に畑に行って、夢中で土と戯れ、遊んでいるだけなのかもしれません。

 参考書籍

  • よくわかる国連「家族農業の10年」と「小農の権利宣言」
    小規模・家庭農業ネットワーク・ジャパン(SFFNJ)編・・・・・農文協ブックレット

  • 市民皆農  山下惣一・中島正 著 ・・・・・創森社

  • 緑の哲学 農業革命論  福岡正信 著
    〜自然農法 一反百姓のすすめ〜 ・・・・・春秋社