俊くんと山へ行こう!vol.5

嶽山(だけやま) ▲278m

目白不動(願昭寺)〜城山オレンジ園〜龍泉寺〜嶽山・・・・歩行:約1時間半

【コース案内&ハイキング日誌】

2003年5月10日、晴れ。

 きょう登ったのは、富田林にある嶽山(だけやま)。名前は立派ですが、標高278mの丘のような山です。近鉄汐の宮駅から、東に1キロくらい進んだところにある目白不動(願昭寺)を起点とします。参道の右脇に「城山オレンジ園」の標識があり、それに従ってハイキング道に入って行きます。城山までは落ち葉を踏みながら、美しい雑木林の中を歩くことができ、快適でした。やがて周囲からみかんの香りがしてきて、オレンジ園に到着。にぎやかな子供達の声が聞こえてきます。そこからは、しばらく鋪装された林道を下ります。やがてバス道に合流し、左折すると龍泉寺です。「やま寺の、おしょさんは♪」の歌に出てくるような、素朴で清楚な古寺です。蘇我の馬子が創設したらしく、境内には日本最古のではないかと言われる、浄土式の庭園があり、国指定の名勝となっています。嶽山を背景に、じつに日本的な風景を楽しむことができます。ちなみに仁王門は重要文化財です。
再びバス道にもどり、500mほど歩けば 嶽山の山頂です。山頂には「かんぽの宿 富田林」が建っています。4Fに展望台があり、360度みわたすことができます。2Fには露天風呂があり、その湯舟から見る金剛山は格別なのだそうです。(今回は、疲れるからと言うことで入らなかった、残念。)

このコースの一番の見どころは、金剛・葛城連山の展望がすこぶる良いということです。今日は薄曇りでくっきりとは見えませんでしたが、大阪側から見る金剛山はここからの姿がもっとも秀麗だと言われています。
嶽山は「太平記」の舞台でもあります。「かんぽの宿」のテニスコートの西側には、「楠公龍泉寺城跡」の石碑があります。駐車場わきから、手入れされていない雑草に埋もれた小道をゆくのですが、木陰にひっそりと忘れられたように立っていました。荒れた山の斜面を少し下りると、西側にのろし台のような小高い広場があります。そこに立つと大阪平野を一望にすることができます。夜になると1000万ドルの夜景だそうです。毎年、8月に富田林で行われる「PLの花火」を観るには、絶好のスポットとなることでしょう。

 今回のハイキングは、私としては「まあまあ」かなあと思いましたが、家内に言わせると「車道が多すぎる。」とのこと、点数は「50点」(;_;)、ほとんどパパの趣味で歩いているようなものでした。よって、帰りは「かんぽの宿」から目白不動までタクシー。元気のあられる方は、滝谷不動尊まで歩いて下りるのも、一興かと思います。

PS:この山は、市街地に近く、抜群のロケーションにあるで、市か府が手入れしてハイキング道を整え、自然公園にすれば、すばらしい憩いの場所になるのでは・・・と思ったりいたします。

嶽山から見る金剛山
龍泉寺と嶽山
道ばたで土いじり

■ 知明山 ▲349.2m 兵庫県立「一庫公園」

出会いの谷〜森の広場〜見晴しの丘〜知明山〜森の小道・・・・歩行:約1時間半

【コース案内&ハイキング日誌】

2003年5月17日、晴れ。

 北摂(大阪の北部)の山からは海が見えない。水の好きな我々親子にとって、海から離れてゆくというのは何故か淋しい。山に登っていても、海を見たい、海を感じたい・・・ふしぎな心理です。
ところが、今日行った山は、水がいっぱい!兵庫県立の「一庫公園」は湖の中に浮かぶ公園なのです。
地図で見ますと、一庫ダムによってせき止められてできた湖は、きれいな「V」字型になっていて、知明山を包んでいるのです。山の麓は公園になっていて、そこへ行くには2本の橋を渡らねばなりません。湖に突き出した半島のようなところです。

知明山の高さは349.2m。俊くんが登るのにちょうど良い高さで、勾配もゆるやか、ハイキング道も綺麗に整えられています。そして、雑木林の中を抜けてゆく「自然観察路」には緑がいっぱい。キャノピーウォークや展望デッキなどもあり、メジロなどの野鳥を見ることもあります。山の中腹にある「丘のゾーン」には広大な芝生と遊具があり、小さなお子様でも楽しめます。その上、人工的に造られた水遊び用の川まで流れていて、まさに「いたれり尽くせり」といった感じのする自然公園なのです。これだけの設備を整えるには、ずいぶんと「お金」もかかっただろうなぁ〜と、複雑な気持ちにさえなりました。

歩いたコースを説明します。
湖畔の駐車場に車をとめ、「出会いの谷」にある360段の階段を上がって、芝生のひろがる「森の広場」に出ます。ネイチャーセンターに立ち寄ってから、「見晴しの丘」に上がり休憩をとります。そこから先は、知明山へと向かう本格的なハイキングコース。道も細くなり、柔らかな土を踏みながら森の中を行く「自然観察路」となります。30分くらい歩くと、静かな林の中にある知明山の山頂に到着いたしました。下りは500段の急階段を下り、 キャノピーウォークを通って「見晴らしの丘」にもどり、丘の上から流れている水場で遊び、「森の小道」を通って駐車場にもどります。半分くらいは人工的な公園ですが、自然も十分に満喫できるので大人も楽しめます。(駐車場が狭く、50台くらいしかとめられませんので、早めに出かけられることをお勧めします。湖畔と丘の上の2カ所にあります)

以上のような所です。途中、池田から先の国道173号線の渋滞さえなければ、100点をあげたいような場所でした。

山頂にて
森の広場から見た知明山
自然観察路

■ 槇尾山 ▲600m(西国第四番札所 施福寺)

登山口〜仁王門〜大日堂〜槇尾山 施福寺〜虚空蔵堂〜弁財天の滝・・・・歩行:約1時間半

【コース案内&ハイキング日誌】

2003年5月24日、晴れ。

 のどかな南河内の平野を、 槇尾川にそって南下すると、大阪にこんなに霊気のただよう奥深い山があったのかと思う場所に入り込みます。あたりの空気は一変し、杉並木と苔のむす渓流の岩場からは、清廉な山の香りがして、心身ともに洗い浄められるような気分にさえなります。
寺伝には「槇尾山は四岳四峰、鬱々として蓮華のごとく、四十八瀑三十六洞あり」と記されていて、これはちょっと大袈裟かなと思うのですが、近年、槇尾山の山頂付近ににある「蔵岩」がロッククライミングのゲレンデとして注目されるようになり、そちらの方面でも人気をあつめているようです。

そんな大変な山を、小さな子供が登れるのだろうか?と心配になられる方もおられるかもしれません。
ところがどっこい、驚くのはこの山を登られる方の、平均年齢の高さです。6〜70歳のお年寄りをたくさん見かけました。人の良さそうなお婆さんが、仏のような優しい顔をしながら登ってゆかれる。ここは信仰の山なのです。例によって俊くんは、何度も「僕、がんばってるね〜」とほめられながら、嬉しそうに登っていました。(言葉が分かっているわけではありません)登山道は、施福寺への参道でもあります。石畳の道や、階段、草木の一つ一つまで大切にされているのがわかります。 
参道の両脇には、ところどころお地蔵さんが祀られていて、どのお地蔵さんも赤い口紅をひき、可愛らしくお化粧をしています。色彩を好み、即身成仏を唱える密教らしい風情だなぁと感じました。

山頂は樹林におおわれていて、道はとぎれています。今日のゴールは標高530mの地点にある施福寺にいたしました。 施福寺は役小角(えんのおづぬ)によってひらかれ、空海によって再興された場所で、西国の第四番札所になっています。本堂の前は広場になっていて茶店とベンチがあり、休憩をとるのに最適です。私たちもお参りをすませた後、ここでお昼にいたしました。広場からは東側の展望がひらけていて、岩湧山がよく見えます。その後、虚空蔵堂に立ち寄ってから、来た道を引き返し、下山しました。

空海のことを少しお話しましょう。

空海は御存知のとおり、平安時代、遣唐使として唐(その当時は、現代のアメリカのように文明の最先端の国であった)へ渡り『密教』を持ち帰って、高野山にて「真言宗」をおこしたお坊さんです。後世の日本文化に大きな影響を与えました。信者さんたちは空海のことを親しみをこめて「お大師さん」と呼び、四国四十八カ所の霊場を巡礼する「お遍路さん」は余りにも有名です。

では、しばしその時代に立ち返り、空海の姿を追ってみます。
唐から帰国した空海は、その後ただちに京に入ることなく、約2年間、人里から離れたこの槇尾山に滞在していました。それは、唐で学んだ二つの真理(密教)を一つに体系化する思想的作業をおこなうためです。潜伏期間ともいえる槇尾山時代に「日本密教」は誕生したのです。(密教がどういったものなのか、私は信者ではないので詳しくは知りません。)インドで起こり、唐において発展してきた「密教」には二つのものがありました。一つは精神の原理を説く金剛頂経系の密教で、もう一つは物質の原理を説く大日経系(胎蔵界)の密教です。目に見えない「精神の世界」と具体的な「物質の世界」は異質のもので、この二つはお互いに合い入れることのできない矛盾した関係と考えられていて、それまではばらばらの形で発展してきました。空海はその両方を受け継いで体得し、日本へ持ち帰って、一つの理論として体系化し「新しい密教」を確立させた、唯一の人物だったのです。

「両部は不二である」と何度も唱えながら、空海は大阪南部の山々をさまよい巡っていました。人は具体的な現実の世界にのみ生きるのではなく、どんなに小さくとも(障害があろうとも)精神をいだきながら、心に喜びを感じながら、「精神と物質」その両方の世界に生きている。それは、矛盾しているのではなく、実は両部は合い通じているのであり、本質において一つのものだったのです。

私は、みなさまに何を伝えようとしているのでしょう・・・

宇宙と人間の真理を探究する「密教」の観点は、同じように人間の幸せを追求し、人間を育てていく「療育」や「教育」の分野においても、何か通じるものがあるのではないか・・そんな、漠然とした思いをもちながら、私は槇尾山にむかったのです。

話はここで大きく飛躍します。(私の妄想かもしれません)

 障害児に対する療育の分野においても、「精神や心理」など人間関係や心の発達を中心に考える専門家と、「行動・認知」などの具体的な機能や方法論を中心に研究される方々、大きく見ると二つの立場があり、この二つの間にある溝は深いように思われます。どちらも、自分達のやり方が主流で、他方は二次的なもの、補足的なものという具合に、どちらかに偏っているケースが多いのです。私どもも、しばしばそのことで葛藤したことがありました。専門家はともかくとして、親はやはり両方の視点から見れるようでなくてはならない。それが、子供を総合的に見て「人間を育てる」ということなのではないでしょうか。『両部不二』とはよく言ったもので、それらを不足せず、行き過ぎず、バランスよく取り入れ、統合するのに必要なものは、(親のメンツや専門家のプライドではなく)やはり「愛情をもって子供を見る」ということなのです。愛情があり、子供の人格や人間性を尊重する思いがあれば、すみずみまで目が行き届き、子供の幸福を考えて、この子に今何が必要なのかを柔軟に考えることができるのではないでしょうか・・そんなふうに思ったりします。

私は気がつけばこのようなことを、ぽつりぽつりと考えながら、遠く空海のいた時代に思いをはせつつ、子供の手をひいて槇尾山の山道を歩くのでした。

補記:空海に関する記述は、司馬遼太郎の「空海の風景」を参照させて頂きました。

大日堂にて・・
登山口から槇尾山を見上げる
施福寺


HOME

.