登山口〜仁王門〜大日堂〜槇尾山 施福寺〜虚空蔵堂〜弁財天の滝・・・・歩行:約1時間半
2003年5月24日、晴れ。
のどかな南河内の平野を、 槇尾川にそって南下すると、大阪にこんなに霊気のただよう奥深い山があったのかと思う場所に入り込みます。あたりの空気は一変し、杉並木と苔のむす渓流の岩場からは、清廉な山の香りがして、心身ともに洗い浄められるような気分にさえなります。
寺伝には「槇尾山は四岳四峰、鬱々として蓮華のごとく、四十八瀑三十六洞あり」と記されていて、これはちょっと大袈裟かなと思うのですが、近年、槇尾山の山頂付近ににある「蔵岩」がロッククライミングのゲレンデとして注目されるようになり、そちらの方面でも人気をあつめているようです。
そんな大変な山を、小さな子供が登れるのだろうか?と心配になられる方もおられるかもしれません。
ところがどっこい、驚くのはこの山を登られる方の、平均年齢の高さです。6〜70歳のお年寄りをたくさん見かけました。人の良さそうなお婆さんが、仏のような優しい顔をしながら登ってゆかれる。ここは信仰の山なのです。例によって俊くんは、何度も「僕、がんばってるね〜」とほめられながら、嬉しそうに登っていました。(言葉が分かっているわけではありません)登山道は、施福寺への参道でもあります。石畳の道や、階段、草木の一つ一つまで大切にされているのがわかります。
参道の両脇には、ところどころお地蔵さんが祀られていて、どのお地蔵さんも赤い口紅をひき、可愛らしくお化粧をしています。色彩を好み、即身成仏を唱える密教らしい風情だなぁと感じました。
山頂は樹林におおわれていて、道はとぎれています。今日のゴールは標高530mの地点にある施福寺にいたしました。 施福寺は役小角(えんのおづぬ)によってひらかれ、空海によって再興された場所で、西国の第四番札所になっています。本堂の前は広場になっていて茶店とベンチがあり、休憩をとるのに最適です。私たちもお参りをすませた後、ここでお昼にいたしました。広場からは東側の展望がひらけていて、岩湧山がよく見えます。その後、虚空蔵堂に立ち寄ってから、来た道を引き返し、下山しました。
空海のことを少しお話しましょう。
空海は御存知のとおり、平安時代、遣唐使として唐(その当時は、現代のアメリカのように文明の最先端の国であった)へ渡り『密教』を持ち帰って、高野山にて「真言宗」をおこしたお坊さんです。後世の日本文化に大きな影響を与えました。信者さんたちは空海のことを親しみをこめて「お大師さん」と呼び、四国四十八カ所の霊場を巡礼する「お遍路さん」は余りにも有名です。
では、しばしその時代に立ち返り、空海の姿を追ってみます。
唐から帰国した空海は、その後ただちに京に入ることなく、約2年間、人里から離れたこの槇尾山に滞在していました。それは、唐で学んだ二つの真理(密教)を一つに体系化する思想的作業をおこなうためです。潜伏期間ともいえる槇尾山時代に「日本密教」は誕生したのです。(密教がどういったものなのか、私は信者ではないので詳しくは知りません。)インドで起こり、唐において発展してきた「密教」には二つのものがありました。一つは精神の原理を説く金剛頂経系の密教で、もう一つは物質の原理を説く大日経系(胎蔵界)の密教です。目に見えない「精神の世界」と具体的な「物質の世界」は異質のもので、この二つはお互いに合い入れることのできない矛盾した関係と考えられていて、それまではばらばらの形で発展してきました。空海はその両方を受け継いで体得し、日本へ持ち帰って、一つの理論として体系化し「新しい密教」を確立させた、唯一の人物だったのです。
「両部は不二である」と何度も唱えながら、空海は大阪南部の山々をさまよい巡っていました。人は具体的な現実の世界にのみ生きるのではなく、どんなに小さくとも(障害があろうとも)精神をいだきながら、心に喜びを感じながら、「精神と物質」その両方の世界に生きている。それは、矛盾しているのではなく、実は両部は合い通じているのであり、本質において一つのものだったのです。
私は、みなさまに何を伝えようとしているのでしょう・・・
宇宙と人間の真理を探究する「密教」の観点は、同じように人間の幸せを追求し、人間を育てていく「療育」や「教育」の分野においても、何か通じるものがあるのではないか・・そんな、漠然とした思いをもちながら、私は槇尾山にむかったのです。
話はここで大きく飛躍します。(私の妄想かもしれません)
障害児に対する療育の分野においても、「精神や心理」など人間関係や心の発達を中心に考える専門家と、「行動・認知」などの具体的な機能や方法論を中心に研究される方々、大きく見ると二つの立場があり、この二つの間にある溝は深いように思われます。どちらも、自分達のやり方が主流で、他方は二次的なもの、補足的なものという具合に、どちらかに偏っているケースが多いのです。私どもも、しばしばそのことで葛藤したことがありました。専門家はともかくとして、親はやはり両方の視点から見れるようでなくてはならない。それが、子供を総合的に見て「人間を育てる」ということなのではないでしょうか。『両部不二』とはよく言ったもので、それらを不足せず、行き過ぎず、バランスよく取り入れ、統合するのに必要なものは、(親のメンツや専門家のプライドではなく)やはり「愛情をもって子供を見る」ということなのです。愛情があり、子供の人格や人間性を尊重する思いがあれば、すみずみまで目が行き届き、子供の幸福を考えて、この子に今何が必要なのかを柔軟に考えることができるのではないでしょうか・・そんなふうに思ったりします。
私は気がつけばこのようなことを、ぽつりぽつりと考えながら、遠く空海のいた時代に思いをはせつつ、子供の手をひいて槇尾山の山道を歩くのでした。
補記:空海に関する記述は、司馬遼太郎の「空海の風景」を参照させて頂きました。